俺と虎の18年

俺と虎の18年TOP

第三回 前向きなファン思考が呼ぶデスパイラル
さて、第三回です。二回までで根本的に書きたかったタイガースのダメっぷりはほぼ書いたと 述べましたが、まだまだボロボロ出てくるかもしれません。今回は、超俺的視点から見た 阪神タイガース。ダメフロントが作り出すダメ現場に翻弄され続けるダメファンの構図が今 明らかに!?ちなみにこの辺の話はここここここここここここここここここを見れば だいたい同じこと書いてたりするんですが、まぁ改めて振り返ってみるということで。
1985年。その年の猛虎打線は、バックスクリーン三連発に代表される圧倒的破壊力を誇り、 さらに優勝、日本一を果たした。それは、野球好きの小学生を虜にするには十分過ぎた。 その二年後には暗黒時代へ突入、88年にはバースと掛布が一度にチームを去ったが、 まだまだ残っていたV戦士達、そして次々に入団してくる大物選手や助っ人に、 小学生の私は心躍らせた。柏原、田尾、金森、キーオ、フィルダー。 最下位球団に一枚いい選手が加わったところでどうなるものでもないことに、 当時の私は気付かなかった。いや、気付けなかったというべきか。
中学生になり、若干野球を覚え始めた私は、フロントの補強や監督の采配に、それなりに 疑問を抱けるようになっていた。しかしそれは、三好球団社長、中村勝広監督という、 暗黒時代の象徴とも言える二人との、過酷な戦いの日々の幕開けでもあった。 今思えば、私は、中学高校の6年間を、この二人にぐちゃぐちゃに掻き回されたタイガースを 観ながら過ごさなければならなかったのである。なんという悲劇。90年。フィルダーに 逃げられた代わりに、スワローズを「チャンスに弱い」という理由で解雇された本塁打王 パリッシュを獲得、案の定チャンスにはさっぱり打たなかったが、それでもシーズ途中で 帰国しながら28本塁打したのはさすがだと当時の私は思った。さらに八木がようやく頭角を 現し、30本塁打するのではないかという勢いで本塁打を量産し、甲子園のお立ち台で「30本行きます」 宣言をしながらも、その後一本も打てなかったとはいえ、「きっと来年は」と私は思った。 91年。確実に二桁勝てるキーオを切ってまで獲った大リーガー、マーベル・ウィンがさっぱり活躍しないのを 観ながら、友達と「彼は何番で使えばちゃんと機能するのだろうか」と真剣に話した。ゴーグルを付けた 宮内は、何番で使って育てるべきか、友達と議論した。 二年連続最下位に終わった中村監督は確実にクビだろうと思い、「長嶋監督招聘」について議論・ 検討したりした。しかし、中村はなんと続投した。そして92年。当時としては奇跡、今となっては悲劇が 起こった。シーズンを前に、相次ぐ主力選手の故障により、やむなく一軍に上げた亀山・新庄が活躍。 さらには、若手投手陣が一斉に才能を開花させるという奇跡が起き、タイガースは最後の最後まで優勝 争いを演じた。優勝は出来なかったが、若かった私は思った。「きっと来年こそは」と。しかし、 監督が「67-8=59」という引き算が出来なかったため、オフに大きなミスを犯してしまった。 野田放出。たった一年で、再び歯車は狂い始めた。 93年。私は高校生になった。中三時、最高のトラキチパートナーだったやまちんと 別々の高校へ進学した私は、「もう、あんな熱いタイガースファンと出会うこともないだろう」と 思っていた。だが、そこには何故か、えんめという漢がいた。しかもその年は、前年のタイガース快進撃の おかげで、タイガースファンであることを平気で公言できる空気があった。僕も、私も、タイガース好き やで、と言ってくれる空気があった。 みんながみんなタイガースを賞賛し、92年より前からタイガースを応援していた人間は、 自分と同じ人種に出会い、お互いを称え合い、そして「これからは俺達が引っ張っていく番だ」と思う… おそらくこれは、関西中の学校で起きていたことなのではないだろうか。だから、タイガースファンは その後どんだけタイガースが弱くても減らなかった。92年のたった一年の奇跡が、それまで各地バラバラに 散って肩身を狭くしていたトラキチ達の結束を固めた。そんな気がする。それは、その後に死の螺旋を呼ぶ 原因であったかもしれないが。だから、93年は、92年の余韻だけで突っ走れた。 94年は、27000万円の助っ人ディアー、FA砲石嶺、いつの間にかリリーフエースに 定着した古溝、さらに、代打には左の切り札に長嶋、右の切り札には千両役者・真弓が控え、 大魔神・佐々木から逆転ホームランを放った桧山をスタメンで使わないなど中村采配にウダウダ文句を言い、 最終的にはBクラスに終わりながらも、十分に楽しんだ年だった。しかし、何故かまだ続投することになった 中村は、この年のオフ、再び狂ってしまう。四番・オマリー解雇。成績だけでなく、 「タイガースファンハイチバンヤー!」でファンにも絶大な人気を誇った助っ人を、あっさりと解雇。 95年、中村はシーズン途中で休養、チームは46勝84敗に終わり、オマリーを拾ったスワローズは優勝。 それでも私はこう思った。「グレンとクールボーが残留した。今年は日本人が相当調子悪かったし、 来年は両外国人と共に和田や新庄や石嶺が打ってくれれば、チームはいい方に向かうんじゃないか?」と。 負けても前向き思考なファン、だから減らないファン、だからチームは強くなろうと努力しない…延々 続く死の螺旋。こうして、私の高校三年間は幕を閉じた。
おーっとなんとこれ、次回に続いてしまうぞぉ!?第四回は、怒濤の哲・大学時代編。 ゲーム・アニメ・漫画に逃避する日々!!哲のオタク進化は、弱小タイガースが後押しした!? (テンション変ですが気にしないで下さい(笑)(2003/9/3)