タイガースと私

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嗚呼、タイガース屈辱と挫折の15年
これは、哲が己の記憶とちょっとの資料を元に書き起こした己と タイガースの歴史である。よって、間違いも多々あろう。 そこは気にしないなり、突っ込むなりしてくれるとありがたい。

77〜80年
哲は広島に住んでいた。この頃の写真はカープの帽子をかぶっている。

81〜84年
西宮に引っ越し、じょじょにサンテレビと親による洗脳が始まる。

85年 74勝49敗7分(日本一) 監督:吉田義男
打率.285(1位) 本塁打219(1位) 防御率4.16(4位)
主なタイトルホルダー バース(三冠王 MVP) 掛布(ベストナイン ゴールデングラブ)
              岡田(ベストナイン ゴールデングラブ) 真弓(ベストナイン ゴールデングラブ)
              木戸(ゴールデングラブ) 平田(ゴールデングラブ)
              中西(最優秀救援)

4月、バックスクリーン3連発で完全なるタイガースファンに。 しかも優勝、日本一。もはや後戻りは出来なかった。 教室にはいつも児童達が歌う六甲颪が響いていた、そんな小学校2年生。

86〜89年 第一期暗黒時代 小学校3〜6年
優勝の余韻でそれなりに楽しめた期間。 柏原、田尾、金森など、『大物』の移籍入団も相次ぎ、楽しかった。

86年 60勝60敗10分(3位) 監督:吉田義男
打率.271(1位) 本塁打184(1位) 防御率3.69(3位)
主なタイトルホルダー バース(三冠王 ベストナイン) 平田(ゴールデングラブ)

優勝の翌年だったため、この成績でもウチの両親は「弱い弱い」とご立腹であった。三冠王バース、スーパールーキー遠山、川籐引退など、球場に足を運ぶ理由には困らないシーズンであった。個人的には移籍一年目の柏原の構えが好きだった。

87年 41勝83敗6分(最下位) 監督:吉田義男
打率.242(6位) 本塁打140(5位) 防御率4.36(5位)
主なタイトルホルダー バース(ベストナイン) 平田(ゴールデングラブ)

遂に始まる暗黒時代。バース、キーオを擁してもこの様である。 吉竹と田尾(L)のトレードがあったが、それで何がどうなると思ったのだろう。 ただ、母は「あの元ドラゴンズのアイドル田尾が来るなんて」と喜んでいた。

88年 51勝77敗2分(最下位) 監督:村山実
打率.248(4位) 本塁打82(6位) 防御率3.82(5位)

バース途中退団、掛布引退など、真の暗黒時代の始まり。 北村と金森(L)のトレードがあったが、勝ち星は10も増えている。 「あのデッドボールの金森やんなあ?」と子供たちは大喜びだった。 村山政権唯一の遺産、大野・和田・中野の『タイガース少年隊』デビュー。 怪人ジョーンズが背番号00で話題に。

89年 54勝75敗1分(5位) 監督:村山実
打率.257(4位) 本塁打135(3位) 防御率4.15(6位)

フィルダーだけで一年楽しめたシーズン。 その他大野が3割打ったり中西が先発に転向したり八木がスラッガーの片鱗を 見せたり和製カンセコ金子がデビューしたりとか久保と住友がバファローズから やってきて工藤伊藤の4人でもう誰が誰なんだか分からない継投をしたりとか 真弓は歳かなあとかそんなシーズン。5位やってんから村山さん続投で良かったと 思うが。

90・91年 第二期暗黒時代 中学1・2年
名も知らぬ若手選手と「昔は凄かった…」というベテラン選手でチームが 構成されていた時代。実は、92年のミラクルへ向けての布石は着々と打たれていた という、今思えばかっこいい時代。

90年 52勝78敗(最下位) 監督:中村勝広
打率.252(6位) 本塁打135(3位) 防御率4.58(6位)

遂に始まる中村政権。フィルダーに逃げられ、かわりに「チャンスに弱い」という 理由でスワローズをクビになった本塁打王パリッシュを獲得。 予想通りチャンスには打たず。それでも途中退団での28本塁打は偉い。 八木も28ホーマー。しかし、「30本塁打宣言」した後、一本も打てなかったのは 恥ずかしいとしか言いようが無かった。哲は代打の切り札・金森で盛り上がっていた。 西宮から神戸に越してきて、全然タイガースファンがいないことに驚く (おおっぴらに言うのが恥ずかしかっただけのようだ、皆)。

91年 48勝82敗(最下位) 監督:中村勝広
打率.237(6位) 本塁打111(4位) 防御率4.37(6位)

確実に10勝出来るキーオを切ってまで獲った大リーガー、攻走守三拍子揃った マーベル・ウィンが230の14ホーマーに終わるも、オマリーが3割20ホーマー したため僕の中に「タイガース外国人不信」はまだ芽生えず。 野田が鬼神の活躍を見せたため、なんとか前年比マイナス4勝ですんだ。 和田初の3割。しかも8ホーマー。翌年からラッキーゾーンが無くなるため、 あるうちに打っておこうという魂胆だったのか? ちなみに大野・池田・岩切・渡真利とホークス藤本修・吉田博・西川・右田・近田の トレードがあった。大野は3割30盗塁に迫る活躍、池田はリリーフエースとして君臨。一方こちらは木戸・島田宗・吉田康・吉田博に若手の山田を加えた「捕手5人制」を 確立したりとか藤本が投げまくったわりにファミスタに入れなかったりとか 西川は肩が痛かったりとか後は存在すら知らなかったりとか、そんな感じ。 ちなみに近田ってのは上手とサイドを使い分ける投手だったのよって知ってるやん…。 あと、宮内・麦倉・古里に将来を夢見たりもした。 亀山という選手が100M10秒台で走ると聴いて将来は岡本と1・2番とか 考えたりもした。古屋(F)が来たのもこの年。 2年連続最下位でも辞めない中村に対して友人は 「こうなったら長島監督しかない!!」と主張した。 僕もその話に乗り、二人で 「来季は長島監督で、今季は1番ウィンで」を主張し続けた。

92〜94年 夢と希望の時代 中学3年〜高校2年
92年のミラクルタイガースと、その余韻で楽しめた時期。 哲もだいぶ野球を分かり始め、それらしい文句・ヤジが増え始める。

92年 67勝63敗(2位) 監督:中村勝広
打率.250(5位) 本塁打86(6位) 防御率2.90(1位)
主なタイトルホルダー 久慈(新人王) パチョレック(ベストナイン ゴールデングラブ)
              和田(ベストナイン ゴールデングラブ)
              オマリー(ゴールデングラブ 最高出塁率)
              亀山(ゴールデングラブ)

亀新フィーバー、投手陣の大変身で沸いた年。 しかし、和田はキャンプ前から「行ける」と思っていたらしい。 マイクの投げ込みを見てそう思ったのだろうか? さすが和田。パッキー(W)を獲得して「また中古外人か!?」と非難されていたが、 前年3割打っていたので僕は「やるやろう」と思っていた。 さすがに本塁打が6から21になるとは思わなかったが。 しかし、当初は左翼パッキー・一塁岡田・三塁オマリーとか言っていたので 守備は絶望していた。真弓の故障、岡田の不振で、石井ヘッドが中村監督に 頼みに頼み込んで敢行した若返り策が成功をおさめていたが、 新庄に代打立花(この年ライオンズから移籍。オフにはクビ)で 転がり落ちて行くことに。哲がやまちゃん、バシタケと出会ったのはこの年。

93年 63勝67敗(4位) 監督:中村勝広
打率.253(4位) 本塁打86(6位) 防御率3.88(5位)
主なタイトルホルダー オマリー(首位打者) 新庄(ベストナイン ゴールデングラブ)
              和田(ゴールデングラブ 最多安打) 

野田放出、松永(Bw)獲得。マイクが14勝から2勝。計20勝減るところを 猪俣、郭李、久保、御子柴の活躍でマイナス4に留めた。 パッキーを外野に回して腰の負担を大きくしたのが全て。 ここで中村は辞めるべきだった、4位でも「頑張った」と思える哀しいチームの歴史が そこにあったのだった。ちなみに関川が素晴らしい打撃を見せてファンを感嘆させた後 バーフィールド(G)に猪俣のストレートのみで勝負して2打席連続ホーマーを 食らったのはこの年。嶋田章が野手として再デビューしたのもこの年。オフには 米崎(Bu)とトレードされたが。 Jリーグの発足の影響もあってか、2年連続となったS−L決戦の平均視聴率は4.1% だったという。復帰一年目となる長島ジャイアンツも不振に終わり、 プロ野球界に暗雲が立ち込めたかに見えた年。 哲はやまちゃんと別々の高校に進学し、「もうあれほどのタイガースファンは おらんやろなあ」と思っていたところ、えんめと同じクラスになってしまったという、 笑うしかない年。神の悪戯を感じる。

94年 62勝68敗(4位) 監督:中村勝広
打率.256(5位) 本塁打92(6位) 防御率3.43(3位)
主なタイトルホルダー 藪(新人王) 新庄(ゴールデングラブ)
              和田(ベストナイン ゴールデングラブ) 

この年は、プロ野球界において大きな年だった。 イチローの出現、10・8で結局勝ってしまった長島巨人、そして宿敵・森西武の 打倒…。やはり野球はジャイアンツなのか、否、長島茂雄なのか、と多くの プロ野球関係者を落胆させた。 タイガースは、とにもかくにもディアーである。大方の懸念通り ハズレ外国人であったが、中村は後半戦に入っても使おうとしていた。 その間仕事をしても使ってもらえない亀山は「だったらもっとアピールするまでです」と無理をするハメに。オマリーが「ディアーを使ってくれ」と言っていたにもかかわらず、オマリー自身は一塁をやりたがっていたというのも一つの要因ではあるのだが。 そんなこんなで前半戦を借金10で終わるも、球宴にはファン投票で5人も選出。 和田が「申し訳ない」とコメントしていたが、これが発奮材料になったのか、 後半戦虎はいきなり強くなり(ディアーがいなくなったからという説もあったが) 古溝の大化け、山崎がジャイアンツ戦で完封、 久保・弓長・郭李・御子柴・中西の中継ぎ陣は凄いわ 代打の切り札真弓・長嶋は凄いわで2位に浮上。だが、その後ブルーウェーブから FA移籍の石嶺が守備につくことになれていなかったためか疲れてしまったり 亀山が故障したり佐々木から本塁打を打った桧山をスタメンで使わなかったり で急降下。藪は10勝できず、今後の彼のプロ野球人生を決めてしまった。 それでも中村は続投。

95年〜 第三期暗黒時代 高校3年〜
野村克也に、全てを託して…。

95年 46勝84敗(最下位) 監督:中村勝広〜藤田平
打率.244(6位) 本塁打88(6位) 盗塁43(6位) 防御率3.83(4位)

オマリーを解雇して獲ってきたグレン、クールボーは一年目は頑張った。 新庄らがしっかり働いていれば、オマリーがどうこうの話は無かったハズである。 とにかくこの年は軒並み日本人選手がダメで、最下位独走、中村は途中退陣となった。 そして鬼平登場。関川を外野で使ったり桧山を4番で起用したりで、 哲は大喜びであった。FAで山沖(Bw)を獲ったのはこの年。 真弓の引退に2時間泣き続けた。ドラフト4位川尻の活躍を喜ぶ間などないシーズン だった。竹内が10勝したのは幻です。

96年 54勝76敗(最下位) 監督:藤田平〜柴田猛
打率.245(6位) 本塁打89(6位) 防御率4.12(5位)
主なタイトルホルダー 新庄(ゴールデングラブ)

前年の戦力に平塚(Bw)と舩木(ドラフト1位)を加えただけで 戦えというのがムチャである。それでも、せめて関川をしっかり固定して退陣して もらいたかったです、鬼平には…。 マース、クレイグは一体なんだったんでしょうな…。 哲は徳島に下宿してやまちゃんやえんめと離れて暮らすことになったが、 コテコテのサンテレビっ子のO田君に出会ってしまったのだった。

97年 62勝73敗(5位) 監督:吉田義男
打率.244(5位) 本塁打103(6位) 盗塁38(5位) 防御率3.70(3位)
主なタイトルホルダー 新庄(ゴールデングラブ)

グリーンウェルが全てを決めた。 それでも前半戦は調子良かったのだが和田の故障と共にチームも急降下。 死のロードであっという間に借金二桁に乗せ、タイガースの97年は終わった。 新庄はともかくウチの選手はみんな頭悪いのでは?と思い始めた年。 伊藤敦、葛西、弓長、田村の活躍が素晴らしかった。 しかし、コールズ、シークリスト、マクドナルドはなんだったのか? どこをどう見たらやれると思ったのか? ホンマにカタログ見ただけで決めてるのか? しかし、ハイアットは残しておいても良かったような…。 関川を相変わらず固定できず、オフには遂に放出した。

98年 52勝83敗(最下位) 監督:吉田義男
打率.242(6位) 本塁打86(6位) 盗塁28(6位) 防御率3.95(5位)
主なタイトルホルダー 新庄(ゴールデングラブ)

久しぶりに評論家の前評判は良かったのだが、結果は誰もが懸念した通りに。 結局、パウエルも大豊も賞味期限切れだった。 矢野のおかげであのトレードをもったいないとは思わなくなったが。 坪井と今岡と山村と井上に『raging waves』を感じ涙した年。 この年、哲は初めて安芸キャンプに行った。しかも日帰りで2発。 オフにはタイガース野村監督が誕生、『FYTN』が発足する。

99年〜
他のコーナー参照。