嗚呼、思い出のタイガース助っ人陣

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ランディ・バース4483〜88
言わずと知れた、史上最高の助っ人。僕は史上最高のスラッガーだと思っている。 おそらく彼以上のスラッガーはもう現れないだろう。そんな彼も、来日当初は「季節外れの扇風機」と 呼ばれていたそうだ(僕の母親談)。だが、そんなある日、打撃練習中でちょこんと当てた打球が レフトスタンドに入り、流し打ちの極意を掴んだとか。ほんまかいな。88年途中、息子の病気で帰国。 「そんな理由で帰られては困る」と、タイガースは彼を解雇したのだった。
リチャード・ゲイル4585〜86
言わずと知れた、85年タイガース日本一の時の胴上げ投手。長身から投げ下ろすストレートに威力が あったような気がするのだが、打たれていた印象の方が強い。それでも85年は二桁勝利(11勝だったかな?)。 いちおうエースだった。
マット・キーオ87〜90
タイガース80年代後半のどん底時代に名を馳せたエース。当時のタイガースファンは先発が彼の日を 必死で予想し、その試合を見に行くようにしていた。少なくとも僕の周りはそうだった。 が、運悪くマイクが先発の試合も何度かあった。そんなことはどうでもいい。チームがどん底だったため 歴史に名を刻めなかったが、実力的にはかなり上位にランクされる助っ人投手だったと思う。 10勝できなかった年なかったし、多分。なのに何故かクビになっちゃったんだよね〜。
ルパート(?)・ジョーンズ0088
ファーストネーム自信ナシ。「怪物」の後釜として来たツルッパゲの「怪人」。日本初の背番号00番。 ホームラン性の当りが失速するというその特技はアナウンサー泣かせだった。それでも8本塁打したことは 誰も覚えていない。
セシル・フィルダー4489
将来有望な若手メジャーリーガーが修行の為に来日。オープン戦は見事なまでに扇風機だったが シーズンに入るや本塁打を量産(詳しくは、やくみつる氏作品『石井晶の「世界のフィルダーを育てたんはこのワシや」物語』参照)。 本塁打王間違いなしかと思ったが、三振した際のバット折りで小指を骨折。タイトルはパリッシュ(当時スワローズ) にかっさらわれてしまった。しかもシーズン終了後「メジャーに帰られたくなかったら2億だせ」と 貧乏球団タイガースに無茶な要求。無論、当時のタイガースにそんな大金払えるわけもなく、彼は メジャーへと帰って行き、2年連続本塁打王と打点王を達成したのであった。
ラリー・パリッシュ4590
本塁打王を獲得したにも関わらず、新監督のノムさんに嫌われてスワローズをクビになったところを フィルダーに逃げられたタイガースが獲得。無駄な所でしか出ない本塁打にファンは泣き、スワローズを クビになったことに納得したものだった。28本塁打を放つも、故障してシーズン途中で退団。
ウィッグス90
全く記憶なし。パリッシュ帰国の後20試合くらい出たそうだが、覚えていない。
マーベル・ウィン4091
確実に二桁勝利が計算できるキーオをクビにしてまで獲得。ここ数年のタイガース「期待外れ現役バリバリメジャーリーガー シリーズ」第一弾。年俸一億というのにそれはもう驚いたものだった。打って走って守れるという 触れ込みだったが全てが中途半端だった。2割3分、13ホーマーという記録を残して帰国。 サイクルヒットを二塁まで走ってフイにしたことは一部で有名。メジャー通算900試合で培った チームプレイの賜物か。
一・三トーマス・オマリー91〜94
年俸一億のウィンが豪快にコケたにも関わらず、年俸三千万のオマリーが活躍するのだから世の中分からない。 「タイガースファンハイチバンヤー!!」のヒーローインタビューは聴く度に泣いた。 94年、3割1分4厘14本塁打74打点の成績を残すも何故か解雇。翌年スワローズの優勝に貢献 することに。スワローズをクビになった年もちゃんと3割打っていた。
一・外ジェームス・パチョレック4292〜93
91年にホエールズを解雇になったところをタイガースが獲得。3割打っていたのでそこそこやる予感は あったが本塁打が倍増以上(確か6本から21本)になるとは誰が予想したであろう。 92年タイガース快進撃を4番打者として支えた。翌年腰を痛めてシーズン途中で引退。 甲子園でタイガースファンが「なんでパッキーの引退セレモニーないんじゃー!!」と叫んでいたが、 球団にその声は届かなかったようだ。
郭李建夫2093〜98
御存知「台湾の英雄」こと92年バルセロナ五輪の台湾代表エース。そこそこ働いてそこそこ球速を 落として帰国。台湾球界に復帰してMVPに輝いたとかいう話だが。球速も戻ったそうだ。良かったね。 彼のプロ初勝利を生で観たような気がするのだが。確かE命寺氏と初めて一緒に甲子園へ行った時 だったような…。僕の両親も一緒にいたような…。違ったかのぉ…。
一・外ロブ・ディアー5794
メジャー通算226本塁打。確かにパワーは凄かった。が、内角と外角スライダーというベタベタの コンビネーションにベラボウに弱かったというベタベタなダメ外国人。キミの初本塁打(甲子園 バックスクリーン右に、多分投手はベイスターズの有働)、一生忘れないよ、 多分。1割5分1厘、8ホーマー。ファンが「一体いつまで使うんや?」という疑問を感じ始めてから 数ヶ月後(確か後半戦開始してすぐ)に故障して帰国・退団。かわりに出てきたのが鮎川(現マリーンズ)だったのも 楽しい思い出。その後タイガースは一時期、最下位から2位にまで浮上したが、結局最後は4位まで 落ちて行ったのだった。嗚呼、2億7000万円の楽しい思い出也。
グレン・デービス2895〜96
かつてメジャーで4番を打ち、通算190本塁打。開幕当初はまさにその実力をいかんなく見せ付けていたが、 夏場を迎えて疲れたのか弱すぎるチームにやる気を無くしたのか、みるみる成績を落として行った。 が、それでもなんとか残留。しかし、2年目はサッパリさんな成績でシーズン途中でクビになったのでした。
スコット・クールボー3295〜96
グレン同様、一年目はそこそこやった(2割7分8厘22ホーマー)が二年目はサッパリで6月に解雇。 春先は花粉症みたいな病気で目が見えにくいという能力を持っていた。その後韓国プロ野球で優勝に 貢献。ドラゴンズに李が入団することが決まった際に「それじゃあ久慈の出番はないね」とコメント したとかないとか。
ケビン・マース3296
グレンボーの後釜で来た左打ちの方。妙なオープンスタンスが印象的。いちおうツボを持っていた。
クレイグ・ワージントン2896
グレンボーの後釜で来た右打の方。妙なタイミングの取り方が印象的。すぐに故障してしまった。
フィル・ハイアット4497
4月は結構打った(8ホーマー?)がそこで打ち止め。惜しい。残留させても良かったと思うのだが。
マイク・グリーンウェル3997
元ミスターレッドソックス。故障で出遅れて7試合だけ出て故障して「神の御告げ」を聞いて 帰って行ったあまりにも有名な選手。 確かに実力は凄いものを感じました。ミートがうまかった。嗚呼、2億円の思い出也。
三・外ダーネル・コールズ2197
前年に3割29ホーマーしながらドラゴンズをクビになってメジャーに復帰していたところをGWに 逃げられたタイガースが獲得。使ってみてドラゴンズがクビにした理由がわかったのだった。 獲る前に気付けよ、頼むから。
ボブ・マクドナルド4097
流れるような投球フォーム(語弊あり)が印象的。これほどどうしようもない左投手は見たことなかった。
リード・シークリスト1297
よくよく考えると守っていた記憶がない。よってポジションも覚えていない。重心の低い構えが印象的。 予想通りハイボールに弱かった。一体なんの為のあの構えだったのか…。
アロンゾ・パウエル3098
言わずと知れた3年連続首位打者。賞味期限切れでドラゴンズをクビになったにも関わらず、 何故かよっさんは彼を獲得してしまったのだった。しかも外野を守らせようとしたのであった。 一塁に回した時はすでに帰国寸前なのであった。
デーブ・ハンセン2598
ドジャースで左の代打の切り札として活躍。開幕当初はそこそこやっていたが、夏場当たりから ヘロヘロになり、終わってみたら本当にそこそこの成績だった(2割5分12ホーマーくらい)。 夏休みにサヨナラホームランを打ったことは誰も覚えていないであろう。
デジー・ウィルソン4298
キャンプで観たときは長打力あるように思ったのだがなあ…。中村かっちゃんも言ってたけどなあ…。
ダグ・クリーク2198
140キロ以上出る本格派左腕として期待され、変化球もスラーブとフォークの合いの子(サンテレビ解説・伊藤文隆氏談) を持っていてそこそこやるんでないかと思っていたら、走者が出るとプッツンしてしまうという コテコテベタベタなダメ外国人投手だった。メイが来てからは二軍の優勝におおいに貢献した。