覚悟はしてましたが遂に引退。
去年も書いたんですけど今回は超私的史観で。























YearAgeGGSWLSVERAIPWHIPHR9BB9SO9SO/W
19992254010794.09 70.11.38 0.8 3.5 6.8 2.0
20002336145933.29 117.21.28 0.8 3.2 9.1 2.8
200124391691213.13 129.11.48 0.3 4.9 7.2 1.5
2002252501205.10 301.33 0.3 2.1 9.0 4.3
200326542202.86 221.36 1.2 4.1 11.0 2.7
2004272929101503.87 181.11.37 0.6 2.9 7.3 2.6
200528282681403.51 171.21.26 1.0 2.4 6.5 2.8
200629242312502.09 154.21.20 0.5 2.4 6.9 2.8
20073019142806.53 71.21.67 0.6 2.4 5.3 2.2
200831863203.44 341.47 1.1 3.2 4.5 1.4
200932141431004.84 74.11.40 1.1 3.3 5.4 1.7
2010331900105.18 24.11.44 1.8 3.7 7.4 2.0
2011345502302.59 48.21.17 0.9 3.0 10.9 3.7
2012356002411.76 511.18 0.4 2.1 7.6 3.6
20133650040141.20 451.13 0.4 2.2 7.6 3.5
2014376004604.05 53.11.28 1.4 2.2 7.9 3.6
2015386106413.02 53.21.36 0.7 3.0 6.7 2.2
201639800005.40 51.80 1.8 1.8 10.8 6.0
通算59414683104293.49 13381.34 0.7 3.0 7.3 2.5

98年ドラ3。
野村政権一年目のルーキー。年齢違いますが球児と同期ですね。あと金澤と部坂と寺田。

福原のルーキーイヤーは1999年、長期低迷に苦しむ阪神タイガースが生まれ変わろうともがき始めた最初の年、野村政権一年目。
当時は暗黒時代真っ只中、150km/hはおろか140km/hすら出ない投手ばかりで98年に入団した助っ人リベラに「ホンマに140台後半出る!!」と狂喜乱舞していたようなところに福原が現れたのでした。
福原はルーキーイヤーから150km/hの速球を連発。「つ、遂に日本人で150出すヤツが現れよったでぇ」とこれまた狂喜乱舞。福原・リベラの速球Wストッパーでんなぁなどと思ったりもしたものですが・・・福原はスライダーに逃げる傾向が強く、そこを狙い打たれたりもしてルーキーイヤーのK/9は6.8。制球も微妙でBB/9は3.5。
2年目の2000年、3年目の2001年は共に先発ローテで開幕するもチーム事情もあってどっちつかずの起用に。改めて振り返るとこの辺はのむさんにしっかり育成してもらいたかったですね。
2002年は星野政権一年目。しかし故障もありあまり働けずオフに手術。
2003年、手術の影響で出遅れてしまうもシーズン最終盤に先発ローテに滑り込みそこそこ働いて18年ぶりの優勝、胴上げに参加。
2004年、岡田政権一年目からは先発ローテで回り優勝した2005年含め「そんなに内容は悪くないのに何故か負けが先行、チームの負けを一人で背負う男」みたいなポジションに。
2006年は少し出遅れるも投球フォームの歩幅をちょっと広げて抜群の安定感を誇るように。シーズン終盤には井川を押しのけてエースの座に。この時のフォームの美しさは後世の残したいレベル。
ところが2007年からまたしても低迷期に。2008年にはバント時に指にボールを当てるしょぼい故障でシーズン早々に離脱。2009年真弓政権発足もイマイチ。2010年はチームが優勝争いする中、シーズン後半の敗戦処理として起用される日々。この時既に33歳。さすがにもう引退かと思われましたが。
違反統一球導入の2011年。「タイガース史上最高の敗戦処理投手」などと呼んでいたものの負け試合で好投を続けていると、他のリリーフ陣が消えていったこともあり勝ちパターンで使われるように。和田政権になった2012年も抜群の内容で、正常統一球になった2013年も成績を落とすことなく活躍。クローザー転向に大失敗した久保の代わりにクローザーになるなど、完全復活を果たしました。
2014年、2015年もオスンファンに繋ぐセットアッパーとして素晴らしい働き。和田政権の屋台骨と言って良かったと思います。
金本政権になった今季は三振は取れていたものの球速が上がらず、ファームでもイマイチだったようで。39歳、限界だったのでしょう。
実働18年は阪神タイガースの投手では最長。

福原は仕事場をいろいろと代えながら、しぶとく生き残ってきました。
何度か訪れた引退危機を配置転換により乗り越えたのはもちろん本人の努力はあったのでしょうが、球団首脳側の柔軟な起用も見逃せないところ。再建期を迎えた今のタイガースにとっては素晴らしい教材となるハズ。指導者として、再びタテジマのユニフォームを着てくれる日を楽しみにしています。

FYTNと共に歩んできたと言って良い福原の引退はなかなか感慨深いものがありますが、そんな彼が指導者になる日が来ると思うと、FYTNもまた新しいステージに突入するのではなどと思いつつ。