スワローズは来季も契約するつもりだったが本人の意向でとのこと。


















所属背番号守備試合数打率本塁打出塁率OPS盗塁
1997T666.1670.167.3330
1998T6611.4090.458.8670
1999T2535.2000.263.5630
2000T259.2670.389.6560
2001T25110.26313.346.7573
2002T25102.30118.356.8678
2003T2555.27311.350.8733
2004T3117.1181.250.4560
2005T3178.2841.360.7360
2006T5139.30220.361.8442
2007T562.1936.239.5971
2008Bs785.2539.331.7780
2009Bs726.2086.253.7340
2010Bs74.1430.208.3570
2011S05.1540.214.3680


どれだけ才能があっても故障しては意味が無いの典型。
20世紀末、暗黒時代真っ只中のタイガースは21世紀を濱中、関本、林のクリーンナップで迎えるという夢を抱いていた。
1999年、監督に就任した野村克也は若手投手では井川、若手野手では濱中に目をつけた。
井川共々、政権最終年の2001年にようやく一軍定着し、濱中は規定打席到達。
星野政権で田淵打撃コーチと二人三脚で取り組んだ「うねり打法」で更に長打力に磨きをかけ、四番に抜擢されるも二年共シーズン途中で故障離脱。
岡田政権三年目にプロ唯一の「ほぼ」全試合出場を果たし、3割20本塁打。
しかしその後は再び故障と戦う日々を過ごした。

ミートの巧さと長打力を併せ持ち、大打者になると思わせた。
濱中を四番として大成させられなかったことが、今のタイガースの様々な状況を招いていると言っても、過言ではないと思う。