一日悩んで受諾。


矢野は木戸関川山田問題を抱えるタイガースにとって救世主だった。
1997年オフ、その年5位となり得点力に課題アリと感じたタイガースは最下位に終わったドラゴンズと久慈・関川-大豊・矢野のトレードを敢行(更にドラゴンズを退団したアロンゾ・パウエルも獲得)。
タイガースがなかなか徹することができなかった関川の外野コンバートをやり遂げたドラゴンズは98年は2位に躍進、99年には優勝を果たす。一方、タイガースは大豊、パウエル共に既に賞味期限が切れており主軸を務めることは叶わず、98年は再び「指定席」の最下位に転落するとそこから4年連続で最下位となった。
そんな中で矢野は移籍初年の98年から110試合に出場しあっさりとタイガースの正捕手の座を手に入れると毎年100試合以上に出場しOPS.600~700台と打つ方でもチームに貢献、やがて来る黄金期へ向けて着々と力を蓄えていた。この時期があるからこそ矢野が「名誉生え抜き」と呼ばれるのは間違いない。

星野政権以降の矢野の活躍は最早言うまでもないが、矢野は単に「強かった時の正捕手、リーダー的存在であったから」という理由だけで幹部候補となったわけではなく、暗黒時代を知っているという点も大きいと自分は思う。
大好きだった金本がアレだけボロカスに言われ(どう考えても真弓や和田よりは名将やったし岡田と比較しても良い点はたくさんあった)監督の座を追われた様を見て、矢野が同じ目に遭ったらどうしようなどと考えてしまっていた(チーム状態からすると金本以上の苦難が待ち受ける可能性が高い)が、一緒にあの暗黒時代を乗り越えた矢野に対して罵詈雑言を投げかけるようなファンはいないと信じたい。

アレから20年、俺達の隙無し捕手矢野が遂にタイガースの監督になる。
盟友金本の野球が間違っていなかったことを知らしめてほしい。
楽しみにしています。