すっかり遅くなってしまいました。

















チーム試合打席打数安打HR盗塁打率出塁率OPS
2001T752021865012.269.320.675
2002T631621392913.209.252.511
2003T12745140212109.301.343.719
2004T1114193859955.257.308.650
2005T1194003578913.249.313.621
2006T1384433939333.237.285.581
2007T1051641483600.243.304.588
2008T5889761901.250.306.595
2009T4770641400.219.254.488
2010S652091874321.230.276.597
2011S234844910.205.271.634
2012S6688781700.218.307.570
2013S444000.000.000.000

同い年、近所から阪神タイガースの選手が出たってことでかなりの想い入れがありました。
育英ではキャプテンを務めるも自らのエラーで甲子園2回戦敗退、亜細亜大学へ進学するもヘルニアで中退。甲賀総合科学専門学校で復帰、社会人デュプロへ。2000年、ドラフト7位で阪神タイガースに入団。
何とも波乱に満ちた野球人生はプロ野球選手になってからも続きます。
プロ一年目、同期入団の沖原が故障した後レギュラーに。沖原復帰後は併用。
二年目、星野政権一年目は調子上がらず。ご多分に漏れず藤本も鮎川や星野修や田中秀太やのように一年だけ輝いてあとはそこそこで残るだけの存在なのかと思いましたが。
プロ三年目。正遊撃手として3割を打ち18年ぶり優勝のメンバーとして名を刻む。「恐怖の8番」なんて呼ばれたりしてましたね。矢野との7、8番はホンマ強力でした。日本シリーズでの活躍も忘れがたいなぁ。
しかし。鳥谷敬の入団で翌年は開幕スタメン落ち。しかし鳥谷はまだまだプロでは通用しなかったため何とかスタメンを奪い取るものの、オリンピック代表に選出されている間に鳥谷にスタメンを再奪取される羽目に。
2005年は鳥谷伝説が始まったことによりセカンドへのコンバートを余儀なくされ、関本と併用に。それでも優勝メンバーだ。
2006年は今岡不振のため関本がサードにまわったため繰り上がり当選でスタメンレギュラーを張るもかなり成績は厳しいものに。
2007年は今岡が復調し出番少なく2008年には平野がトレードで移籍してきて最早出るところが無くなった。
そして九年目の2009年オフ、出場機会を求めてFAでスワローズへ移籍。
当初はスタメンで出場したりもしましたがヘルニアなどもあって守るのが厳しくなりやがて代打の切り札へ。2011年シーズン終盤及びCSでの活躍はまだ鮮明に覚えていますね。

こうして見るとスタメンで活躍したのって4年くらいなんですなぁ。それでも2000年代黄金期の主力として歴史に名を刻んだ存在なのかな。通算打率は.252。思ったより打ってる?
同い年の選手が引退するというのは、なかなかどうして味わい深いものやと思いました。
多くの人から愛された選手。指導者としても成功できる素材かと。楽しみにしています。

自分のサイト、藤本で検索するとたくさん引っかかる。それだけ想い入れの多い選手やったんやなぁと思いました。