13/10/05(土): 甲子園○T4-3G 桧山進次郎、お疲れ様
ネタ: 阪神タイガース・野球
投稿者: tetsu
俺と桧山の22年。
1991年
桧山進次郎ドラフト4位で阪神タイガースに入団。
しかし私は当然のことながら萩原誠に夢中で桧山の存在など知る由も無し。
1992年
亀新フィーバーの勢いに乗ってプロ1年目で一軍デビュー。
私は「こいつも亀山や新庄みたいに・・・」と期待するもそれ程でもなかった。
1993年
プロ初本塁打。
しかし哀しいかな私は全く覚えていない(笑。
1994年
大魔神・佐々木から代打逆転ホームラン。
でも何故か翌日のスタメンライトはロブ・ディアー。
1995年
中村政権シーズン途中で終焉。藤田平政権になりスタメンで起用されるように。
亀山が故障でどうにもならなくなり新庄と桧山の二枚看板で何とか・・・という夢を抱いてタイガースファンは生きていくことに。
1996年
一年間クリーンナップに定着。「スラッガー」桧山としてはこの年がキャリアハイ。
しかしペナントは全くいいところなかったので特に感慨が無い!(笑
1997年
第三期吉田政権。ほぼ一年間四番。新庄と共に20HR。23本塁打は自己最多。
チームは夏場頃まで勝率5割も夢ではなかったのでファンはかなり楽しめたシーズン。150三振、打率.227でも23本塁打に酔いしれる。来年は30HRや!!とか思う。
余談ですが先代の「神様」八木が覚醒したのはこの年。
1998年
桧山の苦悩の日々が始まった年。相方新庄も.222、6HRと絶不調。チームも全くいいところなく吉田政権終焉。
新庄・桧山時代から坪井・今岡時代へ、ファンの心は移ろうかに見えたが・・・。
1999年
野村政権発足。新庄に覚醒の兆し?一方桧山はスラッガーへの道を捨て中距離ヒッターへのモデルチェンジを開始。三振が減り四球を増やすも総合的には中途半端な選手に・・・。
開幕で遅れたこともあり個人的にはかなり影が薄くなった印象。
2000年
どん底の年。一方新庄は覚醒し翌年MLBへ。しかしタラスコに負けて出られなかったというのも何とも低レベルな話。
正直「終わった」感があった。
2001年
野村政権最終年にモデルチェンジ成功。初の3割で星野政権誕生に間に合った。
間に合ってなかったらどうなってたかわからんよね。
2002年
星野政権発足。移籍一年目の片岡の絶不調、アリアスの不安定さもあり五番桧山の頼もしさは格別でしたがシーズン終盤に故障してチームもTHE END。
濱中も矢野も故障して開幕7連勝も過去の話、優勝は諦めたがせめて勝率5割、Aクラスは・・・というようなレベルすら叶わなくなった瞬間でしたね。オフに金本獲得で出番が無くなると悟りFA宣言するも獲得する球団は現れず。ファンとしては安心する反面「あれ桧山ってそんなもんなん?」と思ったりも。
2003年
18年ぶり優勝。FA移籍の金本に押し出される形で一塁コンバートされるもプレッシャーから試合前に吐くなど失敗に。濱中が故障して四番ライトに復帰して成績も復活するもこれまた濱中が故障していなかったらどうなっていたかという話。まぁ濱中が故障しないということは無いんですけど(笑。
優勝した年が四番桧山だったこと。これは忘れてはいけないこと。
2004年
岡田政権一年目。岡田政権の目玉のひとつだった「四番金本」の後を打つ。この年がキャリアハイもチームは四位に沈む。
この四年間の働きはホンマ素晴らしいですな。これで10年食い繋げたと言っても過言ではない。
2005年
優勝。しかしスペンサーと併用で出番は減る。
今思うと何故スペンサーと併用されたのか・・・という気がしますが(笑。確か一時期絶不調やったんよね、この年の桧山は。
2006年
濱中が故障しなかったため代打稼業開始。しかし燦々たる有様。
翌年次第じゃいよいよかなぁなどと思ったりもしましたが。
2007年
代打稼業2年目。うぇいつーに続き広大も台頭、更に岡田神通力のある意味最大の見せ場「葛城育郎・高橋光信ツープラトン起用」が始まりかなり影が薄くなる。
CS敗退後にデイリーが飛ばした「桧山引退」はかなり現実味を帯びて信じられたものですが。
2008年
代打稼業3年目で「神様」襲名。交流戦ではスタメンDHで出場などもあって育郎・光信とのスリープラトン起用は岡田神通力の真骨頂でした。しかしチームはオリンピックの選手派遣から失速を始めジャイアンツに歴史的逆転優勝をかっさらわれることになり岡田政権は急遽終焉。
そしてタイガースは再び暗黒の入り口に・・・立ったのか立ってないのか証明されるのは2014年か。
2009年
真弓政権発足。チームも代打・桧山も不振。
特筆すべきこともない年か?
2010年
通算代打安打の球団記録だった遠井五郎の108本を抜く。チームはマット・マートンと城島の力でシーズン最終盤まで優勝争い。
金本がフル出場しなくなり「金本・桧山の代打起用順番問題」が浮上し始める。
2011年
神様復活もチームは低迷し真弓監督は契約を一年残して解雇。
「金本よりも桧山をスタメンで起用した方が・・・」などという声も出始めたり。
2012年
和田政権一年目。チームは交流戦明けからサッパリ打てなくなり五位に低迷。桧山は夏場まで調子良かったのに金本の引退宣言後一ヶ月以上も全く打てなくなる。
逆に金本の方が打ちまくり始め「これは引退させる方を間違ったのでは・・・」などという話も出たり。
2013年(10/5時点)
引退。
覚悟は既に10年以上前から何度もしてきました。ホンマお疲れ様。引退セレモニー、ええスピーチでした。桧山を応援し続けてこられてホンマに良かった。
甲子園のレフトスタンドから観る、夕日をバックにライトスタンドへ描かれる放物線は最高の想い出です。
1991年
桧山進次郎ドラフト4位で阪神タイガースに入団。
しかし私は当然のことながら萩原誠に夢中で桧山の存在など知る由も無し。
1992年
亀新フィーバーの勢いに乗ってプロ1年目で一軍デビュー。
私は「こいつも亀山や新庄みたいに・・・」と期待するもそれ程でもなかった。
試合 | 打席 | 出塁率 | 打率 | 本 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|---|
7 | 17 | .176 | .176 | 0 | 0 |
1993年
プロ初本塁打。
しかし哀しいかな私は全く覚えていない(笑。
試合 | 打席 | 出塁率 | 打率 | 本 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|---|
33 | 73 | .219 | .162 | 2 | 0 |
1994年
大魔神・佐々木から代打逆転ホームラン。
でも何故か翌日のスタメンライトはロブ・ディアー。
試合 | 打席 | 出塁率 | 打率 | 本 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|---|
32 | 36 | .278 | .278 | 2 | 0 |
1995年
中村政権シーズン途中で終焉。藤田平政権になりスタメンで起用されるように。
亀山が故障でどうにもならなくなり新庄と桧山の二枚看板で何とか・・・という夢を抱いてタイガースファンは生きていくことに。
試合 | 打席 | 出塁率 | 打率 | 本 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|---|
115 | 338 | .305 | .249 | 8 | 3 |
1996年
一年間クリーンナップに定着。「スラッガー」桧山としてはこの年がキャリアハイ。
しかしペナントは全くいいところなかったので特に感慨が無い!(笑
試合 | 打席 | 出塁率 | 打率 | 本 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|---|
130 | 541 | .353 | .263 | 22 | 5 |
1997年
第三期吉田政権。ほぼ一年間四番。新庄と共に20HR。23本塁打は自己最多。
チームは夏場頃まで勝率5割も夢ではなかったのでファンはかなり楽しめたシーズン。150三振、打率.227でも23本塁打に酔いしれる。来年は30HRや!!とか思う。
余談ですが先代の「神様」八木が覚醒したのはこの年。
試合 | 打席 | 出塁率 | 打率 | 本 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|---|
136 | 544 | .333 | .227 | 23 | 2 |
1998年
桧山の苦悩の日々が始まった年。相方新庄も.222、6HRと絶不調。チームも全くいいところなく吉田政権終焉。
新庄・桧山時代から坪井・今岡時代へ、ファンの心は移ろうかに見えたが・・・。
試合 | 打席 | 出塁率 | 打率 | 本 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|---|
122 | 456 | .317 | .226 | 15 | 3 |
1999年
野村政権発足。新庄に覚醒の兆し?一方桧山はスラッガーへの道を捨て中距離ヒッターへのモデルチェンジを開始。三振が減り四球を増やすも総合的には中途半端な選手に・・・。
開幕で遅れたこともあり個人的にはかなり影が薄くなった印象。
試合 | 打席 | 出塁率 | 打率 | 本 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|---|
95 | 323 | .331 | .256 | 8 | 6 |
2000年
どん底の年。一方新庄は覚醒し翌年MLBへ。しかしタラスコに負けて出られなかったというのも何とも低レベルな話。
正直「終わった」感があった。
試合 | 打席 | 出塁率 | 打率 | 本 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|---|
87 | 186 | .328 | .220 | 4 | 0 |
2001年
野村政権最終年にモデルチェンジ成功。初の3割で星野政権誕生に間に合った。
間に合ってなかったらどうなってたかわからんよね。
試合 | 打席 | 出塁率 | 打率 | 本 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|---|
121 | 448 | .355 | .300 | 12 | 7 |
2002年
星野政権発足。移籍一年目の片岡の絶不調、アリアスの不安定さもあり五番桧山の頼もしさは格別でしたがシーズン終盤に故障してチームもTHE END。
濱中も矢野も故障して開幕7連勝も過去の話、優勝は諦めたがせめて勝率5割、Aクラスは・・・というようなレベルすら叶わなくなった瞬間でしたね。オフに金本獲得で出番が無くなると悟りFA宣言するも獲得する球団は現れず。ファンとしては安心する反面「あれ桧山ってそんなもんなん?」と思ったりも。
試合 | 打席 | 出塁率 | 打率 | 本 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|---|
110 | 452 | .340 | .293 | 13 | 7 |
2003年
18年ぶり優勝。FA移籍の金本に押し出される形で一塁コンバートされるもプレッシャーから試合前に吐くなど失敗に。濱中が故障して四番ライトに復帰して成績も復活するもこれまた濱中が故障していなかったらどうなっていたかという話。まぁ濱中が故障しないということは無いんですけど(笑。
優勝した年が四番桧山だったこと。これは忘れてはいけないこと。
試合 | 打席 | 出塁率 | 打率 | 本 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|---|
111 | 456 | .338 | .278 | 16 | 1 |
2004年
岡田政権一年目。岡田政権の目玉のひとつだった「四番金本」の後を打つ。この年がキャリアハイもチームは四位に沈む。
この四年間の働きはホンマ素晴らしいですな。これで10年食い繋げたと言っても過言ではない。
試合 | 打席 | 出塁率 | 打率 | 本 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|---|
130 | 513 | .352 | .306 | 18 | 4 |
2005年
優勝。しかしスペンサーと併用で出番は減る。
今思うと何故スペンサーと併用されたのか・・・という気がしますが(笑。確か一時期絶不調やったんよね、この年の桧山は。
試合 | 打席 | 出塁率 | 打率 | 本 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|---|
119 | 342 | .352 | .278 | 8 | 1 |
2006年
濱中が故障しなかったため代打稼業開始。しかし燦々たる有様。
翌年次第じゃいよいよかなぁなどと思ったりもしましたが。
試合 | 打席 | 出塁率 | 打率 | 本 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|---|
85 | 144 | .243 | .180 | 2 | 1 |
2007年
代打稼業2年目。うぇいつーに続き広大も台頭、更に岡田神通力のある意味最大の見せ場「葛城育郎・高橋光信ツープラトン起用」が始まりかなり影が薄くなる。
CS敗退後にデイリーが飛ばした「桧山引退」はかなり現実味を帯びて信じられたものですが。
試合 | 打席 | 出塁率 | 打率 | 本 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|---|
85 | 106 | .311 | .191 | 3 | 1 |
2008年
代打稼業3年目で「神様」襲名。交流戦ではスタメンDHで出場などもあって育郎・光信とのスリープラトン起用は岡田神通力の真骨頂でした。しかしチームはオリンピックの選手派遣から失速を始めジャイアンツに歴史的逆転優勝をかっさらわれることになり岡田政権は急遽終焉。
そしてタイガースは再び暗黒の入り口に・・・立ったのか立ってないのか証明されるのは2014年か。
試合 | 打席 | 出塁率 | 打率 | 本 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|---|
94 | 121 | .355 | .300 | 0 | 0 |
2009年
真弓政権発足。チームも代打・桧山も不振。
特筆すべきこともない年か?
試合 | 打席 | 出塁率 | 打率 | 本 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|---|
82 | 99 | .283 | .225 | 1 | 0 |
2010年
通算代打安打の球団記録だった遠井五郎の108本を抜く。チームはマット・マートンと城島の力でシーズン最終盤まで優勝争い。
金本がフル出場しなくなり「金本・桧山の代打起用順番問題」が浮上し始める。
試合 | 打席 | 出塁率 | 打率 | 本 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|---|
72 | 71 | .296 | .254 | 1 | 0 |
2011年
神様復活もチームは低迷し真弓監督は契約を一年残して解雇。
「金本よりも桧山をスタメンで起用した方が・・・」などという声も出始めたり。
試合 | 打席 | 出塁率 | 打率 | 本 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|---|
69 | 69 | .333 | .274 | 1 | 0 |
2012年
和田政権一年目。チームは交流戦明けからサッパリ打てなくなり五位に低迷。桧山は夏場まで調子良かったのに金本の引退宣言後一ヶ月以上も全く打てなくなる。
逆に金本の方が打ちまくり始め「これは引退させる方を間違ったのでは・・・」などという話も出たり。
試合 | 打席 | 出塁率 | 打率 | 本 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|---|
67 | 69 | .333 | .224 | 0 | 0 |
2013年(10/5時点)
引退。
覚悟は既に10年以上前から何度もしてきました。ホンマお疲れ様。引退セレモニー、ええスピーチでした。桧山を応援し続けてこられてホンマに良かった。
甲子園のレフトスタンドから観る、夕日をバックにライトスタンドへ描かれる放物線は最高の想い出です。
試合 | 打席 | 出塁率 | 打率 | 本 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|---|
57 | 59 | .305 | .196 | 0 | 0 |
馬場 wrote:
正直、代打になってからも普通の成績って感じやねぇ。
ただ、何か勝負強いイメージが強いねぇ!
暗黒時代と優勝時代を知る選手やから
きっと今後のタイガースに恩返ししてくれるはず!
おつかれさまでした!