最早今の阪神タイガースには何の意味も無い完全に趣味の世界ですが。

90年代、阪神タイガースは正捕手を決めきれずにいました。
92年の亀新フィーバーの際に山田勝彦が正捕手の座に就いたと思ったのも束の間、翌93年、山田よりも圧倒的に打力のある関川浩一が台頭。チームは慢性的な貧打に悩まされていたこともあり、関川の打力に飛び付いた・・・のですが、関川は弱肩と素人目にも分かるヘボリード(変化球が打てない打者に速球を連発し二打席連続本塁打されるなど)が悩みの種でした。
貧打ながら肩はそこそこ、リードは関川よりはマシ(90年代中盤はまだ「外角スライダー勝彦」は誕生していなかったのです)の山田を使うか、弱肩でリードに不安はあるものの打力のいい関川を使うか。ここに関川山田問題が勃発したのでした。


関川山田問題の変遷
これは92〜97年の関川、山田のスタメン捕手回数です。参考に木戸と定詰も載せました。







929394959697
選手\監督中村中村中村中村/藤田藤田/柴田吉田
関川56068852942
山田108403678571
木戸1932243316-
定詰-----23

※関川は95年にライトで26、96年にレフトで5、ライトで50、97年にレフトで24、ライトで7試合スタメン出場

この表を見ると関川が台頭した頃から既に関川が正捕手に近い位置におり、95年には一旦山田はもうほとんど消えかけています。ところが、シーズン途中に監督の中村勝広が休養に入り後を受けた鬼平こと藤田平がそこまで正捕手として出場し続けていた関川を外野手としてスタメン起用します。当時自分などは「遂にこれをやってくれた!!」と喜んだのですが、今こうして改めてデータを見ると「じゃぁ代わりに誰に捕手やらせるつもりやってん」と自分ツッコミしたくなります。
そしてこの監督交代を機に次の吉田義男まで正捕手は山田であるという起用法であったことが分かります。
改めてデータで見ると言う程迷走はしてなくて少なくとも各年のタイガース首脳陣の中では正捕手または正捕手候補は誰か決まっていたのではないかとも思え「関川山田問題など無かった」とも言えるかもしれませんね。

97年スタメン捕手関川山田の勝敗
先述の通り95年シーズン途中でぶっちぎり最下位という状況の中、監督が藤田平に代わり関川は正捕手の座を剥奪されます。しかし翌96年、正捕手山田で臨んだシーズンも結局チームはぶっちぎり最下位でした。極論かもしれませんが「捕手はどっちだろうがチームの勝敗は変わらなかった」と言えます。
そして迎える97年。この年三度目の監督就任を果たした吉田義男はシーズン当初「正捕手は関川」と謳っていましたが、開幕数試合で諦めて山田にチェンジしてしまいます。そしてそのオフには関川を放出したわけです。
ここで、97年の関川山田スタメン捕手時の勝敗を見てみましょう。参考に定詰も載せました。





選手勝率4失点以上
関川2121.50055%
山田3337.47145%
定詰815.34848%

なんと山田も関川も勝率にはほぼ差がありません。まぁ4失点以上の割合が1割多いのは割とデカイ気がしますが、かと言って山田が抜群に良いわけでもなく、そもそも定詰も含めて平均48%が4失点以上しているので試合数の差から考えても誤差範囲内という気も?

関川山田の打撃成績変遷
最後に関川山田の打撃成績の変遷です。
※出塁率・打数-安打・打率・HR・盗塁








年\選手関川山田
92.174・43-5・.116・0HR・0.239・313-64・.204・4HR・0
93.354・233-65・.279・1HR・2.198・108-19・.176・0HR・0
94.328・283-76・.269・2HR・2.245・103-21・.204・3HR・2
95.362・417-123・.295・2HR・12.167・16-1・.063・0HR・0
96.368・344-108・.314・2HR・5.237・274-52・.190・2HR・0
97.392・245-75・.306・6HR・5.319・214-56・.262・4HR・0

ずーっと関川が圧倒的有利でしたが、97年は山田もようやく人並みに打てるように。
しかし関川も今の鳥谷並の出塁率を誇っておりこれをあっさりと放出したのはなかなかの行為でしたね。
まぁその時にやってきた矢野が後々球界を代表する捕手になったのですからトレードは成功だったわけですが。

さてさて、今成小宮山問題は果たしてどう展開していくのか?
あっさり小豆畑が正捕手の座を取っちゃったりしてね(笑