まぁ、こんなことしなくたって、21世紀になってから60盗塁(しかも三年連続で達成し、更にその内二度チームは優勝)した選手は赤星しかおらんことだけ見ても、赤星という選手が球界No.1の盗塁技術を持っていたことは明らかなわけですが。
神は、否、野村克也は、「盗塁」という行為に憧れさえ抱いていたタイガースファンに、突然「球界最高峰」の盗塁技術を持った選手を与えたもうたのです。100M走の日本代表に突然ウサイン・ボルト級の選手が現れたようなもんです。
ここでは、阪神タイガースがそんな奇跡に出逢うまでの苦難の歴史を紐解きたいと思います。阪神タイガースが誇った「俊足」の選手達。調べてみると案外頑張ってたんやなと思ったり・・・(笑。
因みに何処から振り返るか悩みましたが、やはり「Mr.不動」こと中村勝広が監督に就任してからがええかなと思いましたので、1990年頃から振り返りたいと思います。


和田豊
88年17盗塁、89年18盗塁、90年17盗塁
88年に村山監督に見出され大野と共に1、2番を組むように。共に俊足を活かし盗塁を重ねるも、90年を最後にその後は二桁に乗ることもなく。自身の脚力の衰えもあったと思うが、盗塁の増えない和田を長年に渡り1、2番で使っていたことが、今思えば「走れないタイガース」の要因だったのは否定できないかもしれない。そう考えるとやはり関本を2番で使うのは・・・。

大野久
88年24盗塁、89年22盗塁、90年16盗塁
88年に村山監督に見出され和田と共に1、2番を組むように。共に俊足を活かし盗塁を重ねるも、91年にトレードでホークスへ。これが中村勝広のダメ戦略の一発目で、大野を見出した村山さんは「何故大野をトレードに出してしまったのか」と嘆いたと言う。案の定、大野はホークス移籍一年目に42盗塁でパ・リーグ盗塁王に輝いたのだった。そしてタイガースは彼以降赤星に出逢うまで10年以上も20盗塁という数字を見ることができなくなる。

亀山努
92年15盗塁
果敢なヘッドスライディングで彗星の如く現れた亀ちゃんだったが、二桁盗塁したのは実質デビューイヤーの92年のみ。実はこの年盗塁失敗も13と成功率がかなり低く、それが翌年以降の盗塁数減に繋がったと思われる(そもそも企図数が減ってしまった)。この辺が原因で不動中村勝広が形成されていった可能性も無きにしもあらずか・・・?

新庄剛志
93年13盗塁、00年15盗塁
亀ちゃんと共に92年にフィーバーを巻き起こした新庄は、脚力ではその亀ちゃんをも凌ぎ、30発30盗塁も夢ではないと言われたが、何せ250も打てない年が4度あったりと出塁率が低かったことも影響してかその脚力が盗塁に活かされることはほとんど無かった。まぁ、新庄が盗塁したところで後続が進塁打すら打てないので意味ないけどね!!

関川浩一
95年12盗塁
94年、遂に二桁盗塁すら一人もいないという事態に陥ったタイガースだったが、その翌年は中村勝広がシーズン途中で休養に入り藤田平が監督代行を務めるようになると、関川を外野手として1、2番で起用するなどし、自然と関川の盗塁数が増えたのだった。しかし藤田平はチームの捕手事情からこの采配を続けることができず、98年吉田政権下で関川はドラゴンズへ移籍することに。そして当時のドラゴンズ監督星野仙一は関川を外野手として固定し、98年には15盗塁、99年には20盗塁と俊足巧打の外野手として生まれ変わらせたのだった。泣ける。

久慈照嘉
96年14盗塁
この芸風で盗塁できないなんてありえんやろ、と言われ続けていた久慈が96年は好調だった打撃の影響もあってか突然二桁盗塁を達成。しかし失敗も11と多く、振り返ってみると他の年もほぼ成功率は5割で「要は二回トライしてやっと一回成功すんねんな」ということが分かったのでした。関川と違ってドラゴンズ移籍後もその傾向は変わらず、生涯で二桁盗塁を達成したのはこの年だけでした。

田中秀太
99年15盗塁
97年、98年と二年連続で二桁盗塁選手がいないというありえない事態を招いたタイガースだったが、野村政権一年目で流石のむさん、と言わしめたのが田中秀太の抜擢とその彼に15盗塁させたことでした。坪井、和田の1、2番が全く走れないのでだったら秀太を使ったれとスタメンで起用することも何度かあり、出場試合数は和田を凌ぎ事実上セカンドのレギュラーは秀太と言っても過言ではありませんでした。しかし残念ながら秀太がレギュラーを張ったのはこの年が最初で最後。後は代走要員として高い盗塁成功率を誇るも、二桁に乗ることはなく・・・。

そして赤星へ。
00年オフ、新庄がメジャーへ移籍したのがまるで運命であったかのように、赤星はタイガースへ入団しました。打撃はプロでは通用しないが代走要員として使える・・・一芸選手を適材適所で使いこなせる野村克也ならではの発想でスカウトの反対を押し切ってドラフト4位で獲得した赤星。オリンピック代表に選ばれながらも本人はプロ野球選手になれるとは思っておらず、JRの車掌になることが決まっていたという。球界は危うく稀代の名選手をJRにくれてやるところだった。しかしスカウトの懸念通りキャンプでは外野まで打球が飛ばないという非力っぷりで「確かに代走でしか使えないな・・・」と誰しもが思ったそんな彼がプロ一年目から3割近くの打率を残せたのはそれだけ努力したということでしょう。命に関わる故障を抱えながらも全力プレーできる彼にとっては、それくらいの努力、何でもなかったのかもしれません。

しかし、この歴史を振り返って思うに、やはり平野の盗塁数は少なすぎる。正直、ここに挙げた選手で平野よりも走塁面で優っていると思うの、大野くらいじゃね?
頑張ってください、平野選手。