観た。
以下ネタバレあり。


いろいろ思うところがあってまだ整理できていないところもありますがそのまま書きます。

自分にとって『エヴァ』はシンジ君とミサトさんの物語やったんやなぁということを再認識。
ミサトさんがシンジ君に御礼を言うシーンでボロボロ泣いた。
自分は『Q』のミサトさんが許せず、そうなった理由を知って尚「それでもミサトさんはそうはならんやろ(そうなった理由も想像できる範囲)」と思うところもありますが、それでもやっぱりミサトさんはシンジ君の保護者であって欲しいという願いが通じた瞬間でした。

あとはあの時(旧劇場版の時)にミサトさんの想いを受けきれなかった(と自分は解釈している)シンジ君が今度こそミサトさんの想いを受けとってくれるかどうかでしたが。

今回は受けとってくれた、ということでいいよね?

一応最後のシーンの自分なりの解釈をここで述べておくと
『エヴァ』の世界はずっと繰り返されていたのだけど、今回遂にシンジ君はエヴァに乗らない世界を選択して、今僕らが生きている世界が構築された(旧劇場版では自分ともう一人生き残る相手としてアスカを選んだ=再びエヴァに乗る世界だった)
のだと思います。

このオチが「シンジ君がミサトさんの想いを受けとめた結果」と解釈して良いものかどうかという議論もあるでしょうし旧劇場版の頃の自分(20歳)なら「そこはエヴァに乗りつつ世界を救うのが男の子の野望では」などと思った気もしますが、シンジ君が広い世界と関わりを持つという選択をしてくれたのだからもうそれで充分。
・・・まぁ最後の世界が何処の時点から再構築されたものなのか、を考えると微妙な気もしなくもないしそもそも旧劇場版のラストもそうだったという解釈もあるんでしょうけれども。

思えば自分はテレビシリーズ放映時~旧劇場版時代は一番シンジ君が年が近くて(18~20歳)、新劇場版シリーズ開始時はミサトさんに年が近くて(30歳)、今回は遂にゲンドウに一番近い年齢になってしまった(43歳)。と思ったけどQ以降やと14年経ってるのでやっぱりミサトさんと近かった(笑。
まぁいずれにせよ、ほら時々で考え方も変わりますわっつーことで。

つーかもう庵野監督は『ナディア』みたいに最後ハッキリと描くの嫌なんかすかね?(笑
これでもちゃんと描いた方なんかもしれんすが。

そもそも24年前にこの展開にできなかった庵野監督の当時の精神状態を想像するとなかなか辛いものがありますね。
あの時シンジ君はまんまとゲンドウの想いのままに動いてしまったわけですけど、あれから24年経ってシンジ君は遂に自らの意志で広い世界と向き合ったんですよね。
じゃぁ何故あの時のシンジ君はゲンドウの意のままに動くことになったのか・・・今回のような自分の意志で選択する物語にできなかった心理状態って・・・辛過ぎる・・・。

一回もう終わって「(終わり方が気に入らないのも含めて)過去の物」って思ってた作品がリブートされて私的に内容が改善されて完結したというのはなかなかに不思議な体験でした。
リブートされた時に「あの終わり方ではない終わり方」に期待して追い掛けたんですもの。
自分のオタク遍歴は『パトレイバー』で始まって『エヴァ』があって『ときめきメモリアル』があって・・・というのが大雑把な歴史なのでそういう点で『エヴァ』はやはり外せない作品だった・・・のだと思います。

素晴らしい作品をありがとうございました。

余談1
帰りに前を歩いていた学生風3人組が「最後の場面は~ってことでいいのかな!?わかんねー」って話してるのを観て「旧劇場版を観た時の俺(と友達)・・・!!!」って思いました。

余談2
隣に座ってたお姉さん達が序の時に学生と言っていたので今はもう30代になったのだと思うんですけど・・・心の中で「お疲れ様でした」と呟きました。
学生時代に始められた映画シリーズを14年もされたら追っかけるの大変ですわな(笑。