主人公が「策士、策に溺れる」な展開でなんだかなーというかなかなか本格戦争に突入しませんな。
というところで本編からこれと言ったテーマが見付けられず(笑、本作品の根幹部分のひとつであると思われる「タイタニアによる支配」でマンダラートしてみまふか。







『銀英伝』の帝国とは違うやり方多くの民衆は特に不満はないのでは?パンとサーカス
反タイタニアの多くは欲に目が眩んだ支配階級でしょ?タイタニアによる支配田中芳樹作品お馴染みの問い掛け
しかしいつ内紛から大規模な戦争が勃発するかは分からないファン一行にどれだけ反乱の正当性を持たせられるかは重要な要素野球で言うと、何も考えなくても財力でガンガン補強されて勝っていくチームに面白みはあるのか、というところか


タイタニアは領土ではなく経済力と軍事力によってその支配力を保っています。この辺が『銀英伝』の帝国側とは大きく違うところ。また、タイタニアの施政は別段大きな問題も無く、支配を受け入れてしまえば民衆は特に不満もなく日々を過ごせている模様。タイタニアと敵対する多くの勢力は、結局権力が欲しいだけだったりして、その反乱に巻き込まれる方が民衆としてはいい迷惑でしょう。
この、「有能な為政者による支配は民衆にとって幸せか」というのは田中芳樹作品にはよく出てくるテーマで、『銀英伝』では有能な為政者である帝国皇帝ラインハルトと腐敗した民主主義国家である自由惑星同盟軍の司令官ヤンが対談する際にラインハルトから「国を売った国家元首を選んだのは国民なわけだが、民主主義とは人民が自由意志によって制度と精神を貶める政体のことか?」と強烈な皮肉を言われたのに対し、ヤンが「人民を害する権利は人民にしかない」と言い切り、「いつ無能な支配者が出てきて民衆を害するか分からない専制国家はダメだ」と主張したり、『アルスラーン戦記』では、解放した奴隷が「ウチのご主人様はいい人だったんだこれからどうやって生きていけばいいんだ」と怒り、国王(当時は王太子か)アルスラーンが悩む、というシーンがあります。所謂、古代ローマにおける「パンとサーカス」のお話なわけですが、タイタニアの支配体制は先述の通り経済と軍事を握って影響力を保っているだけで表立って「パンとサーカス」を推し進めているわけではなさそうであり、そもそも作中で現在の藩王であるアジュマーンは久々に有能な藩王であるという設定なので、逆に言うと無能でも何百年ともってきたという点がわりかしポイントなのかなと。これはタイタニアの支配はいちおう藩王をトップに抱くものの五家族当主が力を合わせて行われているからであり、そんだけいれば何とかなるんでないかというシステムになっているんでないかと。要は何が言いたいかと言うと、困ったさんな政治を行う可能性がそれなりに低い専制システムなのではないかと思うわけです。そうなると余計に、民衆としては「別に今のままでいいよ」となるんでないかと。だもんで、ファン一行が反乱を起こす場合には、それなりの説得力のある動機が無ければ民衆の支持は得られないと思うわけです。今のところファン一行の反乱動機は傍目から見ればただの私怨であり、しかもその私怨も元々反乱分子であったことが原因となって発生しているのだから、民衆からすればただの平和を乱す輩にしかならんのではと。物語的にこの辺どう持っていくかは大事なところ。ただまぁ、作中の現五家族当主はそれぞれ曲者でいつでも内乱勃発の可能性を秘めているわけで、そうなれば反乱軍としても介入はしやすくなるわけですが。
最後に・・・野球で言うと、「パンとサーカス」というのは「何も考えなくてもごつい選手を金で獲ってきて勝ってしまうチーム」に相当するのかもしれません。プロ野球は娯楽であり、どう楽しもうが人の勝手なのはもちろんなのですが、かつてのむさんがタイガース監督時代に「ファンにも野球を勉強して欲しい」と言っていたように、やはりそれなりにファンも野球を理解してあげないと、結果主義や見た目重視に陥り結果プロ野球の質を下げる、ということになりかねないと思います。「勝つためにはどうすればいいのか」「面白くするにはどうすればいいのか」を真剣にファンも一緒になって考える。それこそが理想的な地域密着なんではないかと。そういう点で大型補強をしなかった(結果的に、ですが(笑)今季のタイガース真弓監督には期待しております。