日記

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1月23日(水)問題は次から次へと
筆者としては全く予想外の突っ込みをされた 月曜の日記でしたが、とりあえずオチはつきました。 詳しくは 掲示板を 見て頂きたい所存でありますが、私の思考の流れをいちおう載せておこうと思います。 自分の文章力アップのためにってのが理由なんですがね。
「GCバイオに規制は必要か?」

「いらない。各御家庭の教育方針にのっとって各御家庭で対処して下さい。 ていうか対処に失敗した時に『こんなゲームがあるからいけないんだ!!』と 言うのは本当に勘弁して頂きたい。それはそちらのしつけがなっていないからでしょうと 思うんですけど」

「ちなみにウチではどういう風にやってたかを載せておこう」 というわけで
『ドツキ漫才をテレビでやっていたとして、 子供が受けていたら「あんなんしたあかんで」と注意しろと。 で「なんで?」と聴き返されたらどつくんですよ。 そして「痛かったやろ?痛いん嫌やろ?」と訊くんですよ。 それでも口答えしたらボッコボコにしばくんです。ウチはマジでこれでした。 家に帰るのが遅かったらドアを開けてもらえず 2時間玄関前で正座 (そのうち友達の家に転がり込むというワザを覚えた)。 ウソをつくと眼鏡が変形するくらいしばかれました (ふっ飛ばされたフリをするとなぐられる回数が減ることを何時からか覚えました)。 夕飯の用意を手伝わなかったら夕飯抜き(育ち盛りやぞおい)。 それでも非行に走らなかったのは多分フォローが完璧だったんでしょう。』
ということを載せました。これはほんと、事実を述べただけで 「これが我が家の教育方針だ!!これでまともな大人に育つぞ!!」などという 主張は一切含まれていません。「ウチはこうだった」ということを書いただけです。

そしてこの日記を読んだえんめ氏からメールが来ます (メールの内容はえんめ氏がわざわざ 掲示板に 転載して下さったので興味ある方は読んで下さい)。 そして僕がその内容で面食らった点は以下の3点でした。
1.えんめ氏は僕が「(暴力による)その「しつけ」を正当化してさえいる」と思っていること
2.えんめ氏は僕が 「自分は暴力による『しつけ』を受けたおかげでまともに育ったと言っている」と 思っていること(これは今読み返すと僕のことを言っているのではないと思いますがどうですか? ていうか電話繋がらないから連絡とれませんなんとかしてくだちぃ)
3.えんめ氏はこのメールを送ることにより 僕が「親の教育がまちがっていたことを認めるわけだから、それはつらい」 という境遇に陥ると思っていること。ということはえんめ氏が このメールは僕が親に受けてきた教育、言うなれば人生観(これは言い過ぎか?)の 変革を迫る程のモノであり、 すなわち月曜の日記は僕の人生観を書いたものだと思っていること。

僕はなんでそんな風にえんめ氏が思ったのかを必死で考えました。 僕は暴力によるしつけを正当化した気は全くないし、 「お父さんお母さんしばいてくれてありがとう」などと書いた気も 全くありませんでしたから。 そして考えた結果、僕が「僕は小さい頃しばかれたよ」ということを 何のツッコミもなくしれっとさも当然のように書いていることに、 えんめ氏は「おいおい、そんなんしれっと書くこととちゃうぞ。 暴力によるしつけは絶対いかん。もし哲氏がしつけの手段の中に 暴力を入れてしまっているとしたら危険だ。これは忠告しておかねば」と 思ったのかな?と僕は想像しました(正解ですか?)。

そして火曜日の日記になります。 火曜日の日記はまとめると以下のようになります。
「暴力はいかんよ。だからウチの親が、ウソをついた僕をしばき倒したのはよくない。 ウチの親は普段は『目には目を』作戦、例えば差別発言をしている僕のことを 「今からメガネって呼ぶぞ?(「そんなんイヤやろ?だからやめなさい」というセリフが この後続きますが昨日の日記では省かれています)」というふうにしてしつけていたのに、 何故かウソに対しては暴力でしつけようとした。で振り返ってみると、 暴力によってウソをつくのをやめさせようとしたみたいやけど、結局それが 一番再犯回数多かった。やっぱ暴力によるしつけは身につかないし意味ないんやと思うわ。 でも、えんめに指摘されるまで自分がしつけの手段に暴力を入れていたことは事実やし、 これはいかんことやと分かったわ。ていうか何の違和感もなく自然に暴力をしつけの手段に 入れていたことに脅威を感じるね。こりゃヤバイわ。 でさ、暴力をしつけの手段から除外すると 我が家の『目には目を』作戦は、例えばドツキ漫才観て「オレも人ドツキてぇ」て 思ってる子供には使えへんやん?子供をどつかずにどつかれる人の気持ちを分からせる方法、 もしくは「ああ、人をどつくのってあかんことなんやなぁ」て分からせる方法はあるかしら?」
以上のような内容で、「僕は別に暴力によるしつけを正当化したつもりはないし、 両親よぶってくれてありがとうなどとも思ってない。両親もぶつことによって息子を矯正 出来たなどとは思っていないだろう。でもぶたれたことは確かにあったし、 えんめに指摘されるまで『ま、ちょっとくらいならどの家でもあるやろ』と思っていた。 それこそが危険なことなんだな」という僕の意志をアッピールしたつもりでした。

しかし、この火曜日の日記を読んでもえんめ氏は「50%しか伝わっていない」と おっしゃるので、僕はえんめ氏の忠告を僕がどう受け止めているかを 分かり易い会話形式でのっけることにしました。 ここでは掲示板に載せたその会話形式をより細かく書いて載せます。
え「しつけは大事やけど、暴力によるしつけはいかんで」
哲「うん、分かってるよ、当たり前やん」
え「いや、ホンマに分かってるか? ちょっとくらいならええやんとか思ってないか? 暴力てのはドラッグ同様常習性があるから 最初はちょっとのつもりでも段々 エスカレートしていくもんやねんで。 せやから虐待で子供がようさん死んでるねん」
哲「ああ、そうか!!オレちょっとくらいならええやんとか思ってたわ!! そりゃ気をつけないかんわ!!」

ふー…これによってえんめ氏も分かってくれたみたいなんですが…。 だったら最初からこうしとけばよかった…。なんでこうしなかったか? それは、先程も述べた通り、えんめ氏がまるで僕が僕の人生観に革命を起こさなければいけない かのような書き方をしていたからです。「それはいかんでキミ」というノリじゃなく、 「キミの人生観は間違っている。そんなことじゃ大変なことになるぞ。 キミの気持ちも分かるけど、なんとかしてその考えを改めてほしい」みたいな、 なんだかすんげぇ重大な忠告なのかな?と思い、「これは軽いノリで返したら まずいんかな?」と思ったんですよ。つーかさ、その後のくまちゃんのカキコもそうやけど、 オレの月曜日の日記って読んだらオレの家庭環境はそんなに深刻に 思える代物でしたか?確かに、えんめの忠告がなかったら 僕は「ちょっとくらいなら」のつもりで将来子供をしばいてたと思うわ。 それがエスカレートして殺人にまで発展してしまう可能性を これで摘めたであろうことも認める。 でもねー、超ショックでしたよ。自分の文章力のへっぽこさが。 「なんかさー、自分は暴力によるしつけを受けてたことをしれっとおまけみたく簡単に 書いてたけどさ、暴力はドラッグ同様常習性があるから子供を殺してしまう事件が 後を絶たないわけで、ちょっとのつもりだろうが最終手段だろうが暴力によるしつけは やっぱあかんのよ」 くらいの忠告でじゅーぶんに理解出来るくらいの人格は持ち合わせてるつもりだったんですが…。 あの日記を読むと「何を言うんだ!!あの時親にぶたれたから今の僕があるんだよ!! だから僕も子供をぶつよ!!」とか言うようなへちょいキャラに 僕が思われることもあるらしく… はっはー…一瞬日記書くんやめよかなと思った、イヤマジで。 やめないですけどね。そもそもこの日記は「考える時間を毎日作るため」に 始めたことですから、こういうことがあった方がいいんですよ、多分。 それでこそ本望。んで今年はさらに「勘違いされない文章を書く」を目標にしよう。 「季下に冠を正さず(字あってる?キは木で良かったんやっけ?)」でもいいか? つーか…オレの子供産んでくれる人ってどんな人なのか 全く思い描けない自分に笑うしかなかったというのが今回の件最大の笑点(←誤植じゃありません) だったというオチで今日の日記終わり。明日は『宇宙の戦士』の感想書くっすよひでちん。 あーあとあれ、今回の件で残ってる問題、 「子供をぶたずに子供に暴力の痛さ怖さ悲しさを教える方法」は随時募集中。 「GCバイオに規制は必要か?」はいらんでしょ?結局、 規制のない残酷描写に触れても常識的な判断を出来るような大人になってもらうために 「子供をぶたずに子供に暴力の痛さ怖さ悲しさを教える方法」を考えるわけですから。
んが、タイトルで触れてて内容で全く触れてないじゃん。 ま、これはもう明日でええか。今回の教育論とも関係あるかも? とにかく、大変なことになってるみたいです…大丈夫ですかぐっちさん?

1月22日(火)マジで『宇宙の戦士』あとがきっぽい
昨日の日記に対してえんめからメールがありました。 ネタにすることを了承してもらうために電話したんですが 繋がらなかったので無断でネタにしてしまいますが 問題あるなら速攻で連絡下さい。
えー要は「暴力を振るうということは酒やドラッグ同様常習性があるので 非常に危険な行為だ」ということです。で「人間やねんし子供のしつけは知性でしようぜ」 ということでして、全く異論ありません。 昨日の日記で「ウソついたらしばかれた」と書きましたがこれは事実であり よろしくないことですね、と前置きした上でウチの親のしつけ方法を紹介しましょう。 バラエティでよくある「パイ投げ」ありますよね。あれを僕が「やってみたいなぁ」と 言ったらですね、親はこう言いました。「あんたの部屋でしてな。んで 片付けもあんたがしいや」と。ケーキに顔を突っ込むシーンには 「今度の誕生日にやってみるか?」、『アホ』『バカ』やその他差別用語には 「じゃあ今からずっとあんたのこと『メガネ』って呼ぶで?」。 これがウチの親の戦法でした。よって昨日の日記に出たヤツは 「ドツキ漫才」はドツキ、 「帰宅が遅い」は「帰ってくる気がない=家に入れない」、 「夕飯の準備を手伝わない」は「夕飯食べたいという気がない=夕飯なし」 になるのですが、何故か「ウソ」に関しては「ウソばっかり言うようにする」ではなく 「暴力」でした。しかも3回も。おかげで3回とも自分がどんなウソをついたか ハッキリ覚えています。一回目は小学校一年の時に「福祉の作文を書く」というヤツで 「街で出会った車椅子おじいさん」というでっち上げのキャラと自分による交遊録を 書いたらあやうく入選しかけて「親にどうしよう」と相談したらしばかれました。 その晩母から担任の先生へ「ウソだった」という電話があったことは言うまでもありません。 二回目は小学校三年の時です。友達の誕生会に行くからと、それに持って行くプレゼントを 母に買ってもらいました。確かSDガンダムのプラモデルでした。 しかし、そのプラモがどうしても欲しくなった僕は誕生会当日、 友達の家に行ったフリをして家に帰りました。 その晩、友達のお母さんから電話がありました。「てっちゃんも来れば良かったのにねぇ…」 生涯最高に親にしばかれたのはこの時だと断言出来ます。 三回目は小学校四年の時…親戚のおじさんから一万円札でお年玉をもらいました。 「これ、ユメちゃん(妹)の分も入ってるから、あとで分けて」 えー…オチは分かりますね…1万円まるまるくすねようとしたんです私…。 母に「あのお年玉どうした?」と訊かれて「ああ、僕の貯金箱から 5000円札出してユメの机に置いといた」とすぐばれるウソを豪快について 一家総出で妹の机ならびにその周辺を捜索した結果、小一時間後に 「ほんまに置いたんか?」と問われ「ウソです」と白状しボコられました。 えーっとなんでこんなこと書いてんねやっけ?ああそうや、 私は別に暴力によるしつけを正当化しているわけではないですよ、 ということを言いたかったんや。現に暴力によるしつけが行われた件は再犯してるし。 でも、えんめに指摘されるまで 自分の「しつけ」観の中に自然に暴力が入っていることに何の違和感も覚えていなかったのは ヤバイことなんやなぁ、これは気をつけないかんぞ、と。 ただし、ウチの親の「目には目を」戦法で行くと やはりドツキ漫才をしたがるヤツにはドツキで分からせるということになってしまうんですが どうすればいいでしょうか?えんめ氏はメールの中で「娯楽は観る観ないを選択出来るので 見せなければいい」と述べていますが、私はやはり100%シャットダウンはムリだと思うのです。 問題は、そういうものに触れてしまって「うぉ、オレもやってみてぇ」と思っている子供に どう諭すかだと思うのです。私的には「娯楽による毒は娯楽によって制す」という方法が いいかと思います。ドツキ漫才を観て「オレもやってみてぇ」と思っている子供には、 『あしたのジョー』で力石が死ぬところを見せて 「殴るちゅうことがいかにヤバイことかを教える」とか。これじゃ弱いか? つーかやっぱり普段から触れさせつつ注意させる予防接種戦法がええと思うんやけど。 「アレはよくないから絶対触れちゃダメ」じゃなくて それに触れさせてあらかじめ「アレは結局どういうことがダメなのか」を 教えておく方がええんでないかと。でも予防接種は体調如何で病気になるしな…。 ていうかそもそも「目には目を」戦法はどうよ?
えー…いつも日記を読んで頂いてる方々の中には「え!?昨日の日記から こんな話になんのかよ!?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。 その感想はいちおう間違っていません。えんめ氏もメール内で触れているのですが、 あくまで昨日の日記は「GCバイオに規制は必要か?」ということに対して、 「いや、親でしつけてなんとかせぇよ!! なんで娯楽を作る側またはそれを楽しみにしている側で お前の家の教育論に協力したらないかんねん!!」 ということが言いたかっただけで、 そのしつけの例として我が家であったことを述べたに過ぎません。 ただ、えんめ氏はその例の中にごく自然な流れで「暴力」が含まれていたことに 警鐘を鳴らしたわけです。「暴力」がしつけの一貫に自然に入っていることはマズイと。 このままだと自分が親になった時に自然に暴力をふるってしまうぞと。 ましてや年に何百万人という子供が虐待で亡くなっているという事実があります。 殺人に結びつく可能性のある代物を恣意的でないにしろ奨励してしまっているということ。 否、むしろそこを何も考えずに書いてしまっていることがヤバイと。 えー多分そういうことだと思うんですけどよろしいでしょうか? で最後に質問なんですが2時間家の前で反省と夕飯抜きは虐待になるんでしょうか?
えーとそれではオチです。では星野仙一監督が選手をしばくのはどうか? えんめ氏は以下の3点によりOKだと述べています。
1.その球団と契約するかどうかは、選手の自由であること。
2.暴力が行き過ぎた場合、それが表沙汰になるなど、透明性があること。
3.暴力に抗しようと思ったら、それが体力的には可能であること。
よって練習しないヤツはどうぞしばき倒して練習させてもらいたいと。 しかし、私は思ったのです。「体験主義を乗り越えてくれ」というえんめ氏の指摘に 反抗するような意見かもしれませんが、「今日振り返ってみて 私的にはしばかれ教育はやっぱ身についてないので あかんヤツはしばいてもやっぱあかんやろ。トレードがええんちゃうかなぁ?」と。 つーか仙一なら眼光だけでウチの選手に言うこときかせられそうとか思ったり。
んが!!今日帰るの遅かった上に日記書くのに時間かかったけぇ アニメ観る時間がなかったわん!!オレのセラス!! 明日定時間退社日やしおかんはMR.BIGのコンサートでおらんけん 晩飯食いながら観れるからええけどねん。 そして風呂上りは『NOIR』ってことで進行状況に全く問題なし (『ときめき3』御田さん攻略はその後全く進んでません)。
んが!!えんめにメール送ってもデリバリーから 「送信でけんかったよーん」て帰ってくるんですけど何故ですか!?

1月21日(月)つーかそもそも娯楽と教育をごっちゃにされるのが嫌
IE6ってクリックしてからのリアクション遅くないすか? でも結果的にムリヤリなダウンロードがなく 回線切れることが減ったっぽいです。 どうせもうすぐADSLになってまうんですが。
くまちゃん日記への私なりの回答。 池袋にヒルギガース50体の方がいい。 自衛隊・在日米軍の火力でなんとかなりそう。 出来れば毒兵器が使える場所へ誘き出すなどの戦法も 考えて頂きたいところですが。 とりあえずアマゾンは地球環境上攻め込めないので困ります。 「ゴクウに勝てるか否か」というのはある意味永遠のテーマとも 言えますがサイヤ人システム搭載のFF2の面々はかなりやれるハズです。 しかしゴクウ戦で最大のカギはやはり「攻撃が当たるかどうか」だったりするので 魔法攻撃の方がええんでしょうな。
毎日日記を読んで頂いている会社の上司様からアドバイス。 「LANボードは一番下に、サウンドカードは真ん中に挿すんやで」 ガーン!!知りませんでした!!一体私の仕事は何ですか!? と自分で突っ込んでしまいましたわん。 マイマシンを早速差し換えてみました。 心なしか起動が速くなったぽいです。 でさらにGCバイオトーク。 焦点は「首狩りはこのまま採用されるのか? 任天堂ハードであの表現はいいのか?」 まずこの問題は「ゲームとしての表現」と「ホラーとしての表現」 二つの側面から考えなければなりません。 ゲーム的見地から言えば「不必要」でしょう。 要はハンターが一撃必殺攻撃を持っていることが大事なわけで、 首が飛ぶことは大事ではないからです。 ではホラー的見地で言うと…やはり必要というか製作者的には必要だから 入れているのでしょう。これはもう制作者側の「こだわり」です。 そして次に考えなければいけないのがこれまでの任天堂のスタイルです。 「ゲームはゲームたれ」という立場をとり続ける任天堂。 PSにアダルトユーザーを持っていかれてポケモンで小学生ユーザーを多く 獲得した任天堂。GCユーザーの大半は恐らく小学生でしょう。 小学生ユーザーが多いという現実と「ゲームはゲームたれ」という立場から 考えるに、任天堂がこれまでのスタンスを貫くのであれば首狩りは「不要」だと考えられます。 無論、バイオはハナから小学生を相手にしていない、という意見もあるでしょう。 また、GCバイオはDCで最強のサードパーティになり損ねたカプコンと アダルトユーザー再獲得を狙う任天堂との思惑が一致して誕生したであろうことも 容易に想像がつきます(そりゃ実際ハード性能もあったんやろうけど)。 しかし、今や任天堂はひょっとすると親御さん達が「任天堂製品なら教育上安心」と 思える程の存在になっている可能性があるというのに、 諸事情あるにせよ、あのままGCバイオを世に放っていいのかという気はします。 ゲーマーとして、バイオファンとしてGCバイオはうれしい限りですし、 制作者のやる気を削ぎかねない規制や、 いかにもマニュアル主義な感じがする年齢制限ステッカーや グロテスク表現ステッカーも個人的には嫌いなので、 ここはPTA的にも満足させられるよう、 「○才以下のお子様は保護者同伴でないと購入出来ません」という規則を 販売店に課してはどうかと思います。 そう、最終的な判断はやはり親御さんに任せるべきだと思うのです。
いやー『宇宙の戦士』のあとがきのおかげで脳が議論型になってますよ。 上記の『バイオ』の話は基本的にゲーマー的見地で考えています。 私的には首が飛ぶ飛ばないは本当どうでもよくて、ハンターが一撃必殺攻撃を 持っていることが大事なのです。よって、首狩りがあることによって 制作スタッフの士気が上昇するのなら喜んで首狩り支持に回りますが、 そこの表現ばかりに力を入れてゲームバランスがメロメロになるなら 当然反対派に回ります。お子様の教育上よろしくないと思われる親御さんが いらっしゃるならば、責任もってあなた方でお子様がプレーするゲームを 管理して下さいて感じです。「任天堂だから」と安心していらっしゃる親御さん達には 64でもバイオが出ていたことをお伝えしたいですね(あれはまあ所詮移植ですが)。 「子供の教育」云々抜かすならとりあえずそれくらいの勉強はしといてくれて感じです。 っつーかマジな話、『バイオ』をへーぜんとプレー出来る小学生とかは もうその時点で教育ミスってる気がすんげぇするんですが気のせいですか? しかしまぁ残酷表現て難しいですわな。ゲームの場合は「必要ないやん」とか 言われてもまあやむをえんところはあると思うんですが、アニメとかはまた違うんですよ。 今ビデオで観てる『NOIR』は銃で撃っても血が出ないんですがあれは非常に リアリティを欠きます。まだ犬夜叉表現(背景真っ赤で黒いシルエットが真っ二つになる) とかの方がマシです。なんつーかアレはホンマ、「麻酔銃でも使ってんのか?」と 突っ込みたくなりますよマジで。血出さないなら出さないでそういうカメラワークせえよとか 思うんですけどね。しかも血反吐吐くのも自己規制してるぽいしな。やり過ぎやろ。 鼻血もあかんとかそういうレベルやぞあれは。しかもいちおう深夜放送やったんやろあれ? ビデオ版は血流してるんかいな? まーあれですわ、表現は自由でええと思います。 規制し過ぎるとやっぱおもんなくなります。 常識的な判断が出来る人が常識的な判断が出来ない人のせいで娯楽を奪われるのは 非常に困ったさんな話だと思います。 子供の教育に悪いと思うなら見せるな触れさすなて感じで。 そりゃ限界はあるんやろけど。 せやったら日頃から「あんなんあかんねんで」と注意しろと。 触れさせながら注意する方が完全にシャットアウトするよりよほど確実です。 例えばドツキ漫才をテレビでやっていたとして、 子供が受けていたら「あんなんしたあかんで」と注意しろと。 で「なんで?」と聴き返されたらどつくんですよ。 そして「痛かったやろ?痛いん嫌やろ?」と訊くんですよ。 それでも口答えしたらボッコボコにしばくんです。 ウチはマジでこれでした。 家に帰るのが遅かったらドアを開けてもらえず2時間玄関前で正座 (そのうち友達の家に転がり込むというワザを覚えた)。 ウソをつくと眼鏡が変形するくらいしばかれました(ふっ飛ばされたフリをすると なぐられる回数が減ることを何時からか覚えました)。 夕飯の用意を手伝わなかったら夕飯抜き(育ち盛りやぞおい)。 それでも非行に走らなかったのは多分フォローが完璧だったんでしょう。 星野仙一監督の言う「アイとムチ」です。 やっぱこれしかないって。練習せえへんやつはしばいたってくれ。 そして結果を出したヤツは思いっきり誉めたってくれ (練習するのはプロとして当然ですのでそれだけでは誉められません)。 年俸更改に同席するとかしてでも褒美をくれてやるとかさ。 つーわけで何時の間にか野球の話になったところで今日の日記終わり。