日記

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こないだ、 友人に「最近イライラしてる」と言われた。 「細かいこと気にしすぎて大きなことを 考える余裕がない」、 「やたら感情的になって理論的でなくなった」と。 確かに最近、「考える」ということをあまり しなくなったように思う。 「こりゃいかん」というわけで、とりあえず 日記をつけてみようと思います。

2月28日(水)気合入れよう
2001年1月中旬、母方の祖母が脚をケガした。 それから内出血が酷く、歩けなくなっていた。
2001年2月18日(日)、僕はようやくおばあちゃんの元へお見舞いに行った。 「今日久しぶりに買い物へ行った」とおばあちゃん。 どうやら歩けるようになったらしい。「良かった」と安心し、その日は家に帰った。 その晩、おばあちゃんは食事中に咳き込んで血を吐いた。 幸い、大事には至らなかったが、僕は「血を吐いた」と聴いた瞬間、 昼間お見舞いに行った時に「いい娘(僕の母は二人姉妹。母が次女)と いい孫に恵まれて、80歳まで生きれて、ホンマ幸せやわ」とおばあちゃんが 言っていたのを思い出し、 「なんで晩御飯一緒に食べてこんかったんやろう」と凄く後悔した。 そして、「なるたけ一緒にいる時間を作ろう」と決心した、ハズだった。 2001年2月26日(月)、寝室で倒れているおばあちゃんを叔母が発見、 おばあちゃんは病院に運ばれた。夕方目が覚めたが、しゃべることも 起き上がる事もできない。脳梗塞の疑いと診断された。 前日、僕は安芸キャンプから帰ってきて、おばあちゃんに土産を持っていくのを 翌日に回してしまっていた。「おばあちゃん、テレビ中継観ながらてっちゃん探しててんで、 ずっと」おばあちゃんの家から帰ってきた母からその話を聴いた時に、 何故お土産を持って行こうと思わなかったのか。 後悔と自責の念がどんどんつのっていく。
今日、おばあちゃんは個室に移った。 この病院は個室でないと夜通し付き添いは出来ないのだ。 「『もう駄目』って医者に言われたから、 付き添いしたくて、こっちに移してもらったの」と母は言った。 改めて、母の強さを知った。 僕はその空間にいるだけで、母がおばあちゃんに語りかける言葉を 聴いているだけで、涙が出てくるのに。 「てっちゃん、仕事で疲れたやろ。晩御飯、家に用意してあるから。帰って食べ」 今日、家には誰も帰って来ない。 独りでいると、不安に押し潰されそうな気がしたけれど、 なんとなく、帰った方がいいような気がしたので、 帰って来ました。 「こんな心理状態でも文章って書けるもんやねんな」と変なことに感心したりしながら、 今日の日記を終わります。

2月27日(火)ダメ人間
僕は同じ過ちを何度も繰り返す。 今回もそう。一週間前に決意したことだったのに。 もし神様がいるのなら、 もう一度だけチャンスをくれ、というのは わがままなのだろうか? じゃあ僕はどうすればいい? 答えは自分で見つけるしかない。 今、僕に出来ることは何か。 今していいことは何か。 してはいけないことはあるのか。 確実に言える事は、自分の力で乗り越えるしかないということだ。 こればっかりは、誰かに頼るわけにはいかないから。 人は最終的には多分、独りなのだろう。 だからこそ、普段の、ひととの関わりを大切にしなくてはいけないのだと思った。 とりあえず今はカラ元気でも頑張ろう。 泣くのは後でいい。

2月26日(月)日記コーナー始動
そもそも何故今まで日記コーナーが無かったのか? 哲は他人様のHPの日記コーナーを読む度に 「おもしれー、オレもやってみてー」と 思っていたのだが、プロ野球シーズン中に 『タイガース日記』をつけないといけないため、 ずっと断念していたのだ。 他には「この文章て他のコーナー用のんとちゃうの?」 と突っ込まれるような内容になりがちだろうな、 ということもあったのだが、とにかく「考える時間」 を設けるため、日記コーナー始動です。 決してキャンプを見に行って今季のタイガースに絶望したから 始めるのではありません。