「遊びは楽しく」

「草野球は自由である」。の原則がないと、子供の頃の夢を引きずっている大人の遊びにはならない。

つまり、管理されたり、周りから口を出されたりするのは本望じゃない。 だが、草野球の世界にも勝利至上主義が蔓延している。各地の草野球大会では、おそろいのユニホームで細かいルールにがんじがらめになりながら、本気でトーナメントを闘っている。勝利が目的だから、犠牲バントといった非情な采配も優先される。でも、管理された大会は、学生野球に端を発した軟式野球であって、本来の草野球の精神とはほど遠い。 では、本来の草野球とは何か。勝利以前に、選手一人ひとりが思う存分、体を動かすことが最終目標になっていなくてはならない。選手9人以上集まっても、全員が打席に入れるローカルルールを認めればいい。助っ人のユニホームが違っても構わない。相手チームが気に入らなかったら二度と対戦しない。つまり、自分たちの遊びのすべてを、自分たちで好きなようにやるのが、押しも押されもしない草野球のあり方だ。 「スクイズのサインさえあれば勝てたのに」。負け試合でこうつぶやく選手もいた。でも、チームの勝利のために自己犠牲もいとわないのはストレスになりそうだから、抵抗がある。 子供の頃の遊びと何も変わらないが、原点がそこにあるのだから当たり前。「遊びは徹底的に楽しく」。究極の草野球は、自由で横暴なおじさんたちの遊びなのだ。                

                                        17.7.5 朝日新聞抜粋