07/06/28: ちょっといい話
「遊びは楽しく」
「草野球は自由である」。の原則がないと、子供の頃の夢を引きずっている大人の遊びにはならない。
つまり、管理されたり、周りから口を出されたりするのは本望じゃない。 だが、草野球の世界にも勝利至上主義が蔓延している。各地の草野球大会では、おそろいのユニホームで細かいルールにがんじがらめになりながら、本気でトーナメントを闘っている。勝利が目的だから、犠牲バントといった非情な采配も優先される。でも、管理された大会は、学生野球に端を発した軟式野球であって、本来の草野球の精神とはほど遠い。 では、本来の草野球とは何か。勝利以前に、選手一人ひとりが思う存分、体を動かすことが最終目標になっていなくてはならない。選手9人以上集まっても、全員が打席に入れるローカルルールを認めればいい。助っ人のユニホームが違っても構わない。相手チームが気に入らなかったら二度と対戦しない。つまり、自分たちの遊びのすべてを、自分たちで好きなようにやるのが、押しも押されもしない草野球のあり方だ。 「スクイズのサインさえあれば勝てたのに」。負け試合でこうつぶやく選手もいた。でも、チームの勝利のために自己犠牲もいとわないのはストレスになりそうだから、抵抗がある。 子供の頃の遊びと何も変わらないが、原点がそこにあるのだから当たり前。「遊びは徹底的に楽しく」。究極の草野球は、自由で横暴なおじさんたちの遊びなのだ。
17.7.5 朝日新聞抜粋
「草野球は自由である」。の原則がないと、子供の頃の夢を引きずっている大人の遊びにはならない。
つまり、管理されたり、周りから口を出されたりするのは本望じゃない。 だが、草野球の世界にも勝利至上主義が蔓延している。各地の草野球大会では、おそろいのユニホームで細かいルールにがんじがらめになりながら、本気でトーナメントを闘っている。勝利が目的だから、犠牲バントといった非情な采配も優先される。でも、管理された大会は、学生野球に端を発した軟式野球であって、本来の草野球の精神とはほど遠い。 では、本来の草野球とは何か。勝利以前に、選手一人ひとりが思う存分、体を動かすことが最終目標になっていなくてはならない。選手9人以上集まっても、全員が打席に入れるローカルルールを認めればいい。助っ人のユニホームが違っても構わない。相手チームが気に入らなかったら二度と対戦しない。つまり、自分たちの遊びのすべてを、自分たちで好きなようにやるのが、押しも押されもしない草野球のあり方だ。 「スクイズのサインさえあれば勝てたのに」。負け試合でこうつぶやく選手もいた。でも、チームの勝利のために自己犠牲もいとわないのはストレスになりそうだから、抵抗がある。 子供の頃の遊びと何も変わらないが、原点がそこにあるのだから当たり前。「遊びは徹底的に楽しく」。究極の草野球は、自由で横暴なおじさんたちの遊びなのだ。
17.7.5 朝日新聞抜粋
enme wrote:
草野球の世界では、人間を2種類に分類できる、とぼくは確信している。投手と、それ以外の選手だ。先天性の投手は、どんなへなちょこ球でも、どんな悲惨なゲーム展開になっても、マウンドにしがみつく。だから妙な信頼感も生まれる。つまり投手は生まれながらにして投手で、運動能力や球威、制球力があるかどうかなんて関係ない。反対に、内野からの転向選手は、どんなに速い球を投げても、どこか勝負に淡白でもろい。 ここに草野球の投手は能力ではなく性格のポジションだという不文律ができあがる。どんなにヨレヨレでも、最後までマウンドにしがみついていられる根性があれば、草野球投手として立派に通用する。 試合に敗れた後、反省会の名の下に宴会が開かれる。選手の大半は、飲んで食べての大騒ぎで、さっきまでの勝利へむきだしのファイトはどこへやら。 とにかく無敵のプラス思考、たまたまあったファインプレーやいつものエラーまで、酒の肴にしてしまう。勝敗なんかどうでもいいのである。 こんな場面でも、投手だけは違う。投手成績はチームの勝利と連結しているから、「あのエラーで負けちゃったね、あはは」なんて、野手のようにおおらかになれない、笑いながらも、じっとしてそんな発言をした仲間をにらみつける。でも、これぐらいの根性がないと投手はできない。出たがり、目立ちたがり、そして自信過剰ぐらいでないとマウンドニは立てないのだ。
17.7.6 朝日新聞抜粋