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ドラゴンズ優勝、その時…
石井が横山のストレートを見送った瞬間、ジャイアンツの「ミラクル」は夢に終わった。いち早くベンチ 裏へと消えていった長嶋監督。呆然とする選手たち、そしてファン。泣いている者もいた。「巨人ファンでも 悔し涙を流すんだな」と思った。ジャイアンツファンの友人は「誰が他チームの祝勝会なんか観るか!!」 と言っていた。これが常勝軍団の意地だろう、と思った。所変わって神宮球場。9回表。ヤクルトバッテリーは ゴメスを敬遠した。既に、ドラゴンズの優勝は決まっていた。でも、スワローズは最後まで勝負にこだわった。 これが「プロ」の意地だろう、と思った。優勝して、ドラゴンズファンの友人は泣いていた。何を 言っているかわからないほどに。うらやましい、と思った。ドラゴンズ優勝の裏で、グラウンドを去る者達がいた。 山本和範は、最後の打席でホームランを放った。感動した。涙が出た。彼の生き様は、まさに「野球バカ」 だった。それが、とてもかっこよかった。金村は、現役最後の打席を遊ゴロゲッツーで終えた。彼のひたむきなプレー、絶対忘れない だろう。そして、名将・上田利治。「この土台の上に大輪の華が咲くことを信じて、静かにユニホーム を脱ぎたいと思います」ファイターズよ、名将と言われた男が残していく物を、決して無駄にしないで もらいたい。そして、パ・リーグを支えてきた三人の戦士達よ、本当にお疲れ様。
さて、タイガースよ、今年も君達は最下位でシーズンを終えようとしている。球団通算勝率も5割を 割った(2リーグ分裂後)。君達に今、何か誇れるものがあるか?引退する時、我々ファンの胸を打つことが 出来るか?ドラゴンズ優勝を観て、山本和範や金村や上田監督がユニホームを脱ぐのを観て、何か感じる ものはあったか?
花がゆき交い 風が吹き 色が舞い散り 灯がともる 季節は何度めぐっても この瞬間は2度とない(林原めぐみ「raging waves」より)

タイガース連敗ストップ&ドラゴンズM1記念「関川、久慈、おめでとう」
当初、この文章は星野仙一の胴上げを観てから書こうと思っていたが、平常心でいられるうちに 書いておこうと思い、今書くことにした。

ドラゴンズが、11年ぶり優勝を目前にしている。今週中に優勝が決まることだろう。そして、その 歓喜の輪の中に、関川浩一と久慈照嘉の両選手が、いるはずである。御存知の通り、このふたりはかつて、 阪神タイガースに在籍していた。97年のオフ、ふたりは吉田義男前監督のナイスな考えにより、 大豊泰昭内野手・矢野輝弘捕手とトレードされて、ドラゴンズへと移った。当時、私は「アホか!?」と 怒り狂ったものだったが、今はもう悔いはない。このトレードは4選手にとって、実にためになるものだった、と 確信しているからである。今日は、栄えあるドラゴンズV戦士となる関川・久慈両選手との思い出を 振り返りたい。久慈は、91年のドラフトで、即戦力の遊撃手としてタイガースに入団した。ルーキーイヤーの 92年、チームは優勝争いし、久慈はルーキーながらよく守り、「平成の牛若丸」とまで言われ、新人王を 獲得、ニュースステーションにまで出演した。だが、その後、課題であるバッティングが一向に向上せず、 歴代の監督も「守備だけ」の久慈に数々のライバルをぶつけた。しかし、ライバルが勝手に沈んでいって くれ、久慈はレギュラーに残り続けた。ところが、96年のドラフトで今岡が入団。「打てない走れない守れるが肩弱い」の久慈と将来性抜群の今岡。 首脳陣のみならず、ファンまでもが薄々感じていた、97年オフのトレード。だが、久慈はトレードを 言い渡された時、「頭が真っ白になった」と言っていた。タイガースの選手は、タイガースを追われる時、 たいてい「泣きながら」出て行く。池田も、野田も、岡田も、他にもたくさん、みんな、泣きながら 出て行った。その度に、僕は思う。「なんで泣いてるねん?お前らはタイガースの選手である前に プロ野球選手なんやろが」と。この時の久慈に至っては、誰もが薄々感づいていたことなのに、何故 本人は感じていなかったのか、不思議でしかたなかった。「危機感がない」、タイガースの選手全般に 言えることかもしれないが、久慈もその一人だったのだ。その情けなさはドラゴンズ一年目でも変わらなかった。 フルカウントからの見逃し三振、何度観たかわからない。だが、2年目の今季、福留入団で出番を奪われ、 久慈は初めて「危機感」を持ったのだろう。シーズン前半は若造の守備固めに甘んじ続けたが、黙々と その仕事をこなし続け、福留が疲れてきたシーズン終盤はしっかりと代理スタメンで結果を出した。 そう、みんな「プロ」に選ばれた人間なんだから、気持ちさえ入ってれば出来るはずだ。久慈よ、 その意気だ。あんな若造に負けるな。でも、来季以降さらに出番は減っていくだろう。だったら、他球団へ、 パ・リーグでもいい、チームを出ろ。このまま老け込むのは早すぎる。まだ30だ。頑張れ。 それから、優勝、おめでとう。さて、続いては関川だ。タイガース時代、関川は捕手だった。だが、 捕手としての能力はあまりにもひどかった。送球は弱い、リード無茶苦茶、キャッチングも下手。 普通ならば即コンバートだったのだろうが、当時の正捕手・山田があまりにも打てなかったことと、 外野手が余る程いたことにより、中々コンバートされなかった。藤田代理監督になってようやく外野手 デビューを果たすが、それも固定とまでは至らなかった。捕手と外野手の二足のわらじ。中々試合に 集中できない日々が続いた。そして、吉田監督になって「正捕手・関川」と宣言され、俄然やる気になった、 はずだったのだが、開幕二週間程度で二軍落ちを宣告された。理由は「打てないから」。そう、結局 首脳陣は「捕手・関川」には何の期待もしていなかったのだ。しばらくして一軍に帰ってくるが、結局 再び捕手と外野手の二足のわらじを強要された。イライラはつのり、首脳陣への不信感も強くなって いったであろう。それを首脳陣も感じてか、この年、規定打席未満ながら3割1分4厘の成績を残すも、 オフにトレード要員となってしまった。「タイガースでは僕の野球は理解されなかった」と関川は言い残し、 ドラゴンズへ。星野監督は迷わず関川を外野コンバート。センス抜群の打撃と見事な脚力、そしてドラゴンズ ぴったりのガッツで今や12球団トップクラスの外野手に成長した。かつて、私は巨人ファンの友人に こう話したことがあった。「関川の打撃はイチローにも匹敵する」ひいきめが多分に入っていたとは言え、 今の関川を見るとあの発言もあながち冗談ではなかったな、と思う。チーム事情があったにせよ、 しっかり仕事場を決めてやれたドラゴンズと決めてやれなかったタイガース。関川は人が働く為にまず 何が必要か、を教えてくれた。今季、窮地に陥ったドラゴンズを、関川のガッツが幾度となく救ってきた。 私は声を高らかに言いたい。「今季のドラゴンズのMVPは関川だ」と。関川、本当におめでとう。 そして、ふたりとも、さようなら。

9月21日(火)〜9月26日(日)
今季本当に最後の見せ場だったのだが、なんと全敗。新庄が「明日も勝つ」と言ってから11連敗。 もう何も言うこと無いや。

さて、遂に、あの、ホークスが、優勝、してしまった。これで『あぶさん』も心おきなく終われるだろう。 万年Bクラスのホークスだったが、やはり今季の優勝はやるべきことをやっての結果だった。フロントが マジになってチームを強くしようとすれば、チームは勝てるようになるのである。この福岡ドームに 移ってからの7年間、秋山・工藤・小久保・城島・井口・松中・永井・篠原・星野と、優秀な選手を獲得し続けてきた 結果が生み出した優勝と言える。さすが根本さんである。今季の優勝はまさに根本さんの遺産だと思う。 それを、王監督が見事に生かしきった。素晴らしい。勝つ球団というのは、こういうものなのだ。 フロントと、現場と、選手が、一体となる。昨年のベイスターズもそうだった。弱小球団がのし上がるには、 これしかないのだ。タイガースよ、わかるか?頼むで、マジで。この理論でいくと、来季あたり、 マリーンズが怪しいなあ。MVP、誰かしら?松坂に持ってかれるか?

9月7日(火)〜9月12日(日)
今季最後の見せ場だった。ドラゴンズ三連戦、ジャイアンツ三連戦という一週間。ドラゴンズには2勝1敗、 そしてジャイアンツ戦も初戦をとって勢いは最高潮だった。が、土曜日、竹内しかいなかったことが 悔やまれる結果となった。湯舟もうちょい頑張れよ、とも思ったし、ちょっと無理してもええ試合ちゃうの? とも思ったが、まあいいや。で、日曜日。あの場面でテキトーなバッティングをしてしまった新庄、 そしてバットが出ない大豊とシンジくん。なんでお前らがプレッシャー感じてるねん?がっかり。 もう絶対新庄に先の事は言わせない。そう心に誓った今季甲子園最後のジャイアンツ戦であった。