自己責任原則

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我らが小泉首相が大好きな言葉に「自己責任」というものがある。 国はアテにならねぇ警察はアテにならねぇ病院はアテにならねぇ学校はアテにならねぇ食品メーカーはアテに ならねぇとにかく今の日本は自分の身を守るには「自己責任」が重要なようである。 しかしちょっと待て!?それは我々国民が勝手に覚悟することであって、国がそれを押しつけたら どうなる!?「老後の年金なんかいりません、自己責任で老後は過ごしますので、国民年金は払いません」 という論理が通ってしまわないか!?いや、それでいいならそれでいいというかぶっちゃけそっちの方が いいような気がするが是非NGOの方々はその辺を突っ込んでってもらいたいとこです。 そう、「自己責任」とは、他人に押しつけるとかえってややこしくなり自分の首を絞めることに なりかねないものなのだ。ここに、あるプロ野球投手がいるとしよう。彼はプロ入りしてから10年近く、 「6回まで完璧だったのに7回になったら突然崩れる」という投球を繰り返していた。 歴代の監督は怒った。「相変わらず粘りの投球ができない」と。しかし、第三者の見解は違った。 ベテランと呼ばれる域にまで達して尚、その芸風が治らないということは、彼はもうそういう投手なのだ、 というのが傍から見ている者の意見だった。つまり、「7回まで投げさせた監督が悪い」というのが 第三者の考えだった。しかし、6回完封している投手を7回で代えて、もしその後の投手が打たれて負けたり したら…そう思うとなかなか監督としては代えづらいところだろう。 どちらに転んでも、負ければ監督の責任。そんな理不尽なことがあるだろうか? だがしかし、そこにある漢が現れた。「どんな内容でも、敗戦は全て監督の責任。自分のやり方に 問題があるなら、いつでも辞める」そういう覚悟で監督を務める漢が。そう言われては、 ファンもマスコミも誰も何も言えない。 漢は、実際その投手に「裏切られる」まで、完投させることを念頭に置き起用していた。 そして、いざ裏切られると、その後は二度と終盤まで投げさせることは無かった。 その結果がどう転ぼうとも、誰も文句は言わなかった。 漢は、「自己責任」を自分に押しつけることによって、他人にまで押しつけてしまったのである。 「俺も首を懸けるから、てめぇも首を懸けろ」これが本当の「自己責任原則」なのではないだろうか。 (2004/4/22日記より転載)