先日も書いた通り5、6月は時間によゆーがあったのでいろいろ考え事ができました。


特に考えたのが「理解力」について。
ここ最近「人間の理解力」について考えさせられる事象がいろいろあって、ぼけーっと考えることが多かったのです。
でまぁ結論から書くと「残念ながら理解力が無い人というのはたくさんいる」「世の中のだいたいの問題はこれが原因なのではないかとすら思える」「で、どうするか、が今後問われる」というのが今の自分の考えなのですが。

尚、この結論に至るにあたって大いに参考になったのが以下の記事及びツイート。
平田オリザ氏炎上にみる、コミュニケーション教育は「他者と相互理解する能力」を害しているという現実(ヒラヤマタカシさんのnote)
「赤いリンゴが木から落ちました」と言っているのに「いやそのリンゴは赤だぞ!」みたいになっちゃう人がなかなか多い(ダルビッシュ有投手のツイート、及びこれに連なる見事なクソリプの事例)

ダルビッシュについてはまぁ今更何も書きませんが(笑、ヒラヤマタカシさんの論考、めちゃくちゃ面白いです。この方何者なのか分からないのですが、哲学者なんかしら?という程論考が深く、かつ文章力が凄い。
いろんな立場の人を慮りながら今の自分の論考を記述していくスタイルはとても大変だと思うんですが、今後も楽しみにしています。

この結論に至ったおかげで精神衛生がかなり良くなりました。
そもそも自分は「厄介系はスルー」というインターネット黎明期の知見でこれまで生きて来てまして「ああこの人、間違った解釈してるのでちゃんと伝えたい」と思っても「(時間の無駄などと自分に言い聞かせ)ぐっと堪えて」タブを閉じる、という感じだったのですが、この結論に至ってからは「理解力が無いのだからしょうがない」と簡単に流せるようになりました(ホンマは流していてはいけないのでしょうが・・・)。

で、ここからが今回の主題なんですが今後「理解力が無い人達がいる」という前提で生きていくためにまず理解力が無い人のパターンについて自分なりに簡単に纏めておこうかと思います(ぶっちゃけヒラヤマさんの記事読めばいいんですが一応自分なりに・・・)。

・そもそも理解力が無い
・そもそも理解する気が無い
・「こいつは自分の敵」認定により起こる曲解(意図的な曲解の場合は「理解している」ので除きたいところだが、それでも曲解しようとしている時点で理解していない可能性もある)

・・・この3つは更に細分化できるんですがというか細分化しようと思ったんですが分けわからん感じになってしまったのでシンプルにとりあえずこの3パターンでいくことにします。

以下、自分の実体験に基づく話。オチは無い、かもしれない。
■そもそも理解力が無い
若い人に多い印象。頑張って話せば伝わることも多い。
こちらからの伝え方にバリエーションが必要。

■そもそも理解する気が無い
こちらの意図を理解する気がある人であれば、言葉が通じない相手ですら伝わったりすることがあると思うのですが、理解する気が無い人には何を言っても伝わらないですよね。
年いった人に多い印象。
乗り越える方法を自分は未だ知らず。

■「こいつは自分の敵」認定により起こる曲解
自分の感覚では「フツーに読んだらそうは思わんだろう」という内容を曲解し、何ならその方と同じ主張なのに「間違った主張だ!」と絡んでいくスタイル。
ただこれは自分も思い当たる節はある(何回か読み直して「あれ別におかしくないわ」と気付く)。
元々同じ主張の場合「絡まった糸を解いていけば相互理解できるのでは」などと思うが成功した例を見ることはほとんど無い。
「理解力が無い問題」のサンプルとしてはある意味最高の素材。
おそらくその主張のことよりもその前の段階にある何かを解決しないといけないのだがそこを解決する術がノープラン。

因みに逆の立場から書くと、自分も理解力はあまり無い方で、自分が理解しやすい内容に置き換えないと理解できないんですよね(そういう点では本当の理解はしていないかもしれない)。
なのでよく「こういうこと?」と自分なりに解釈した内容で質問を返すのですが、それが的を射ていないと相手をイラつかせる要因にもなったりします。

・・・先述の通りオチはありませんが現場からは以上です。