五月末で、6年弱勤めた会社を辞めた。


元々転職すること自体は2017年、甲子園球場の泥んこCSの頃には決めていた。
元来、ひとつのところで働き続けられる性分では無いからだ(飽き性なのである)。

転職先を決めたのは昨年末頃で、ずっと付き合いのあったよく知ってる会社にした。
選んだ基準は「好きなようにやっていい」と言われたからだった。

五月まで勤めていた会社でも割と好きなようにやらせてもらっていたとは思うが、会社が大きくなるにつれて自由度が下がっていたのは確かだった。
特に転職を決めてからの3年間はそれが加速度的に進んだと言って良く、仕事そのものや時間的拘束という点でもどんどん自由度は失われていった。
いつしか定時などという概念は消し飛び月平均200hはデフォルトとなった。
少し話は逸れるが、自分も若い頃は月200hなど当たり前だと思っていた。
特にフリーランス時代はもらっているお金に対してそれくらいは働かねば、という想いすらあった。
五月まで勤めていた会社でもその気概はずっとあったのだが、昨年夏に熱中症にかかった後に各段に体力が落ち、正直なところ現状ではデフォルト200h働くのは厳しくなっている。
この辺りは転職するという想いが全く薄れなかった理由のひとつなのだろうとは思う。

また、五月まで勤めていた会社には戦友や親友がいて彼らと別れる寂しさについては結構逡巡したが、大きくなるにつれて一緒に仕事をするケースが減っていたという点も理由のひとつなのだろうと思う。

どうせ苦労するなら自分で選んだ仕事で苦労したいし、自分で選んだ人達と苦労したい。誰かから押し付けられた仕事や誰かから押し付けられた人とではなく。
想えばフリーランスになった時もその想いだったのではなかったか。

この想いは今後の人生で大事にしていこうと思う。

・・・いやしかしこれ書いてる今この瞬間、何と言うか退職した実感が全く無いっすわ。
まーどうせ戦友親友とは今後も仕事はするやろうしってのはあるんですが。

いやそういえば帰りの電車で仕事のチャットやメールをチェックしなくてええんやなーって思ったり帰ったら机の上に置いてあった嫁さんからのお疲れ様の手紙を読んだ時に感慨深いものはありました(話変わりますが電車は宣言前の感じにそこそこ戻ってる印象でした。ほら感染者もまた増えますわな)。

まーでもやっぱり実感無い。

基本在宅勤務になった関係で会社に人がほとんどおらずしれーっと退職になったのも実感無い理由かも。でもこれからこういうのが当たり前の世の中になるんかもなー。

と最後は雑談風に締めるの巻。