日本シリーズ第二戦。連日失点してしまったクローザー馬原の後を受け、金澤が登板した。ブランコを三振に仕留め、最少失点でチームの被害を抑えガッツポーズしてベンチへ帰っていく金澤を観て「ああ、ホンマに復活したんやなぁ」としんみりした。


金澤のプロ入り後の成績。











チーム試合防御率三振四球死球WHIP
2001T126.92136812.31
2002T504.3368.2522281.31
2003T362.7255.2441011.04
2004T233.5343.1421341.20
2006T254.7826.121621.52
2007F108.4622.191236.00
2008F46.00188711.67
2009Bs56.007.25314.70
2010H382.8946.2301831.24
2011H531.6643.1301230.99

1998年、所属していたNTT関東の野球部がNTTグループ再編の煽りを受け消滅、本来は翌年がドラフト対象となる年だったが、一年繰り上がってドラフト対象選手となり、タイガースにドラフト2位で入団。
2002年、星野政権一年目で中継ぎエースとして活躍。相手右打者の胸元を突く攻めの投球が仙一のお気に召したと思われるが、こちらも観ていて気持ちの良い強気の投球だった。
しかし優勝した2003年はリガン、安藤、ウィリアムスという強力なリリーフ陣が形成されたため、金澤はどちらかと言うと負けゲームでの登板が増えた。成績は立派なものだったが、日本シリーズでの敗戦処理など、あまりいい場面で投げていた印象は無い。この立場は仙一遺産の整理に明け暮れた岡田政権一年目の2004年もあまり変わらず、2005年には故障で一軍登板無し。2006年に一軍戦線に復帰するもののオフにトレードでファイターズへ。
ここから金澤の苦労の日々が始まる。ファイターズで二年間全くふるわず、解雇されオリックスに拾われるものの2010年シーズン途中でホークスへトレード。ホークス一年目はほぼ大差ゲームの勝戦または敗戦処理に使われる。
優勝争いを続けるチームにおいて、さして重要ではない場面で登板し続ける気持ちはどんなものか?自分がある日観た金澤の投球はかつてのような気合いの乗ったものではなく、魂が抜けてしまったのかと思えるような内容だった。
しかし、それでもいい結果を残し続けることで、シーズン終盤には僅差のゲームに使われるように。三年ぶり勝利やホールドを挙げるなどホークスの大逆転優勝に貢献すると、今季は大きなチャンスが訪れた。
攝津の先発転向や甲藤の故障などもあり、ファルケンボーグ、森福らと共に馬原へ繋げる役割を任されるように。ファルケンボーグと同じくチーム2位の53試合に登板、17H3Sを挙げるなど素晴らしい活躍を見せた。

投手がガッツポーズをする時はやはり僅差の試合のヒリヒリする場面に登板し、そこを抑えてこそだろう。久々に金澤のガッツポーズを観て泣きそうになった。
来季もいい場面で登板する金澤が観られるとええなぁ。

しかしもう何が驚くってあの2002年にバンバン投げてた金澤はもう9年前という事実・・・。